「自ら一歩踏み出す勇気を」
内田 高広が語る仕事--1
私はマーケティングをやる
顧客の望みを聞く仕事だから
医薬品メーカーの第一三共ヘルスケアで経営企画部長をしています。小学生の頃は保健室にいることが多い虚弱体質の子どもでした。心配する母がよくドリンク剤やビタミン剤を飲ませてくれたので、薬に興味や感謝の気持ちを持っていました。中学生になってスポーツに熱中して元気になりましたが、大学時代はアルバイトとサークルに明け暮れ、喉(のど)のへんとう炎で入院することが年に一度くらいありました。
そんな大学時代に、マーケティングに出会い学びました。「お客様が何を望んでいるのか。それをまず聞くところから始める」というその理論は、私の生き方にピッタリと合ったのです。今でこそ顧客満足度を追求するマーケティングは当たり前ですが、当時の日本ではメーカーがいいものを作れば売れるといったプロダクトアウトの時代でした。
そんな中で、私はなぜマーケティングに引かれたのか。もしかすると、大阪で育ったことで常に周囲に笑いの世界があり、人を喜ばせ、感謝されることがうれしいという気質が根付いていたからかもしれません。芸人の方々が「どうすればウケるか。楽しんでもらえるか」と工夫する創造力や技術は、ビジネスにとって欠かせない力だと感じていました。それこそまさにマーケティングの本質と同じだし、私はどうしてもメーカーのその分野で仕事をして成功したいと就職の目標を定めました。
当時はまだ「マーケティング」と名前の付く部門を持つ企業はほとんどなかったので、商品企画部や販売促進部といったマーケティングの仕事に部分的にでも携われる部門を目指しました。しかし、おそらく新卒は足で仕事を覚えてこいと営業に配属されるでしょう。なので私は、大学時代にもう営業はしっかりと経験したから、マーケティング職に就かせてもらえませんかと言えるような「実績作戦」を考えたのです。
科学的な営業を意識して
30年も前で、現在のような職種別採用もほとんどない時代。就活の面接時に何を主張すれば少しでも可能性が生まれるかと頭をひねり、インパクトのある営業経験を在学中にしようと決めました。「在学中にバイトで営業の実績を積んできましたので、御社ではマーケティングをやりながら営業も経験するということではダメですか」。入社面接でそう訴える自分をイメージして、就職情報誌を出していた出版社でバイトを始めることにしました。会社や店舗から求人広告をもらってくる飛び込み営業です。
競合する就職情報誌もあり、やはり向こうも飛び込み営業で数を当たっているので互いに門前払いは当たり前。そこで、例えば飲食店なら飛び込む時間をいつにするか、あるいは企業であれば、どの曜日、時間に行けば会える確率が高まるかといったことを色々考えました。お店の方からフライパンを投げられるようなことも何度かありましたが(笑)。でも私は悲観的になることもなく、面接でネタにできると割り切って「自分なりに科学的な営業をやってきました」と言えるように様々な手を思考し、実績も上げました。
こうした努力が製薬会社にも認められ、新卒でマーケティング職への配属がかなったのです。(談)