「自ら一歩踏み出す勇気を」
内田 高広が語る仕事--2
組織の枠を超える
本質的な提案なら応援される
製薬会社で経営企画部長を務めています。大学時代に「顧客満足の追求」という理論に引かれ、マーケティングを学びました。マーケティング職での入社を目指し、新卒はまず営業に配属されることが多いと予想して、就職情報誌の会社で広告の飛び込み営業のアルバイトに、社員になった気持ちで成果にこだわって取り組みました。その実績をもって、就職面接では営業経験を十分に積んできたとアピールし、ある大阪の製薬会社にマーケティング担当として入社がかなったのです。
配属先は一般用医薬品事業を手がける部署で、新製品発表会の準備やDMの発送業務など大型新商品ブランド担当者のサポートから始まりました。若手の意見を積極的に取り入れてくれ、ある時、営業効率を高めるための提案をしました。訪問する得意先を製品ごとに明確にし、営業部門の方に「一目で分かるリスト」として渡すのです。それには得意先全店の販売データの加工が必要ですが、当時パソコンが各拠点に1台しかなく、それも売り上げ記録の羅列で順位は分からない。データ分析にはシステム部門に依頼して作成してもらうか、ホストコンピューターからデータを抜き出してもらって自部署で加工するか、いずれにしても面倒な事務手続きが必要で、時間もかかるので実現できていませんでした。
システム部門を通さずに実行できる方法を模索して色んな方に相談していたところ、私の仕事観に影響を与えてくれた医療用部門の二俣課長(当時)と出会えました。システム部門出身ということもあり、医療用部門では既に私が実現したいことに取り組んでいるとのことで、教えを請いに業務時間後に日参。しかし、そこは課長というお忙しい立場でなかなか時間を取ってもらえません。でもある日「しゃあないな」と、仕事が終わってから毎晩残ってコンピューター言語やシステム構築を教えて頂くことができたのです。完全に習得するまで取り組みは半年以上かかりましたが、業務外にもかかわらず付き合ってくださったこの課長への感謝が、今も「下の人から頼られたら、必ず応える」という私の価値観になっています。
「命まで取られるわけじゃない」
私たちの仕事は新たな価値を生み出し、新たな市場を創造することだと私は考えてきました。ドリンク剤のブランドマネジャーの時に事業部全体でやり抜いた経験があります。1999年、ドラッグストアでしか買えなかったドリンク剤が、規制緩和によってコンビニやスーパーでも取り扱えるようになった年です。その当時からコンビニは巨大市場でしたが、商品の入れ替わりが頻繁で、継続して売り場を確保するのは簡単ではないと考えた私たちは、自動販売機に着目し、その会社に話を持ちかけました。
それまで取引がなかったので、自社の別ブランド製品をその自販機の親会社に製造委託することで関係性を築いていき、コンビニと自販機という全く新しい二つの販路を開拓することができたのです。コンビニとの取引は会社にとっても初めての取り組みで、トラブルが多発。難題が山積みでしたが、数十社の全国の特約店(卸売業者)と新規契約を締結し、販路解禁日には無事出荷が開始できて、お客様の手に届く機会が増えていきました。この激務の中で先輩が放った言葉があります。「命まで取られるわけじゃない」と。前を向き続ける力をもらいました。(談)