北海道出身。高校卒業と父親の転勤を機に上京。大学では英文学を専攻し、シェークスピアのオセロを卒論のテーマに。趣味はピアノのほか、高校まではバレエに励んだほか、茶道部にも所属。インドア派と思いきや、実はアクティブという。
第5章 地上に降りた天使(下)
「型にはまらない」
鍵盤の上をめまぐるしく動く指先。ほとばしる情熱が乗り移ったかのような超絶技巧……。
時間を見つけては、子どものころから始めたピアノに向かう。家族と一緒に住む都心のマンションではさすがにグランドピアノは置けなかったけれど。高校2年の時、全国コンクールに出場したほどの実力派は、大学時代も4年間、他大学のクラシックピアノサークルに入って、ピアノを弾き続けた。
今、一番気に入っている曲はサン・サーンスの「アレグロ・アパッショナート」。そのほか、ヴェートーベンやショパンなどの激しくスケールの大きな曲を弾きこなす。おとなしそうにみえるが、ピアノに限っては派手な曲が好みだ。日ごろ、たまっているストレスを発散して心のバランスを取っているのだろうか。それもあるが、外見とは裏腹に意外とマイペース派なのだという。マンションから見える海までふらっと出かけるなど、1人で散歩することも多い。「古地図を見るのが好きで、昔、ここにこんな街があったんだとか思いながら歩くんです」。
ピアノの練習は曲の最後から
そんなちょっと人と変わったところが、モノの見方、事の進め方にも表れる。例えば、ピアノ。最初に譜面に向かった時、どんな曲か最初から弾き始めるが、最後のパートから練習し始める。終わり方からその曲を見ていくと、最後にこれだけ大きい音を出すためにその前はどのくらい音を下げた方が良いだとか、後ろから計算していった方が曲の全体像をつかめる気がするのだ。
目の前のことから考えるのではなく、結末を想像しながらどう進めていけばよいだろうか。ピアノをきっかけに、そんな思考が身につき、アイデアが生まれることがほかにもあった。
大学2年の時、成蹊大学が毎夏招いている英国ケンブリッジ大の学生劇団との交流行事にボランティアで参加した際、外国人学生に喜ばれる企画として、それぞれの名前を半紙に1枚ずつ、ひらがなで書いてプレゼントすることを提案し、大受けだった。前年まではパーティーゲームをやっていたに過ぎなかった。これまでのやり方を真似るのではなく、彼らが喜ぶ様子を想像することから始めた結果、思いついた。劇団の来日にあわせて広報を担当した翌年には、地元のケーブルテレビ局に出演して宣伝をしたところ、前の年の何倍もの観客が集まった。
物事の手順ののみ込みは遅いけれど、先々を読む力はあるらしいのだ。
内々定をもらったあと、学生時代にしかできないことだと思って、日本料理屋や総菜の対面販売など接客サービスのアルバイトに精を出した。最初は種類の違うコースのメニューや弁当に詰めるご飯の量をなかなか覚えられなかった。間違ったお膳を出して、お客様は気づかなかったけれど、料理長から注意されることもあった。けれども、余裕が出てくると、お客様のニーズが分かってくる。分かってくると、自分の頭で工夫したり考えたり。それがまた楽しくなる。
マニュアル通りではなく柔軟に
日本料理屋では個室の中での食事の進み具合を外からのぞける小さなガラス窓から見て、いつ次の食事を出すか考えるようになっていたが、そのタイミングの絶妙さをお客様からベタ褒めされたことがあった。「学生なのにここまで出来るとはすごいね」と。対面販売でも最初は顔がこわばり、ペアを組んだベテランから「笑顔でやってね」と言われたが、最後はショーウインドウのどこを見て美味しそうな表情をしているのかを観察して、「これどうですか?」と勧めることもできるようになった。
頭ごなしに言われるとパニックになるが、柔軟にやれるようになると本領を発揮できるタイプ。そういう意味では「大器晩成」型なのかもしれない。
就活でも、そうだった。飛行機の客室乗務員をめざしてエアライン就職志望の女性のためのセミナーに参加した時のこと。航空会社の事情にくわしい講師は「髪はこういう風にまとめなくてはいけません」など、内定を取るやり方はこれしかないと言わんばかりに「こうしなさい」「こうすべきです」と、型にはめようとした。強烈な物言いに、本当にそうなの?とイヤになった。
興味のある教育や接客という仕事も、マニュアル通りに進めるのではなく、ある程度、方向性が決まっていながらも相手を見ながら柔軟に対応することが肝心だろうと思う。それは、自分の好きなクラシックピアノに通じるものがある。楽譜はきちっと決まっているが、そこにテンポや抑揚など、どんな曲想をつけて表現していくかは弾き手次第だ。
ピアノの先生に言われたことを思い出す。「あなたの良い点は、音の流れを理解してよく歌えること。それが最もあなたらしいところよ」
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