就職活動

シューカツ見聞録

田村雅希さん

長野県出身。高校までは野球一筋。しかも、自転車通学という限られたエリアでの生活から一転、大学入学で大都会で暮らし、サークルやアルバイトなどいろんな経験をしたことをきっかけに、より広い世界を舞台に仕事をしていきたいと思ったという。

第6章 熱くなれ(中)

「失敗を恐れず」

6年前。長野県立松本深志高校の野球部員として迎えた最後の夏のことは、今でもほろ苦い思い出だ。

7月11日、全国高校野球選手権長野大会3回戦。第2シードの東海大三高を相手に0-6で迎えた9回裏二死。打席から見やるその先に仁王立ちするエースは、中学時代、全国制覇を果たした同じ硬式野球チームの仲間、甲斐拓哉。高校卒業後はその速球を買われてオリックスからドラフト1位に指名(昨年退団、独立リーグへ)されたほどの実力の持ち主だ。仲の良かった彼の球を何とか打ち返し、最後の打者にはなりたくないとの一心でバットを振った。だが、あえなく凡退。高校野球に別れを告げることになった。

「県立で甲子園に行くぞ」。そう誓って松本深志に進学したのは、母親の知り合いの息子さんがエースだった2000年、県大会で準決勝まで勝ち進んだのを見たのがきっかけだった。2年半、ほぼ野球漬けの生活を送った。

2年生の夏は腕のケガに悩まされ、思ったような活躍ができなかった。その分、意気込んで臨んだ3年の夏も、チーム自身は3回戦まで勝ち上がった一方で、3番ショートの重責を担いながら、やはりケガをいくつも抱えたせいもあって1、2回戦ともノーヒット。打順を6番に下げて臨んだ3回戦も結局、中学時代のチームメート相手に一度も快音を響かせられずじまい。

悔いが残った「最後の夏」

「夏の大会にはいい思い出がない」。だが、悔いが残るというか、思うようにいかなかったというイメージが強い高校野球の経験が、実は就活では生きた。

そのころは、失敗したくないという意識が強すぎた。ちょっと打てなくなると、どこかフォームが狂っているのではないかと練習後、自宅の鏡に向かって素振りをしながら、打法をしょっちゅういじくっていた。失敗したら、同じ過ちを二度と繰り返さないために原因をとことん突き止めないと気が済まず、どんどん負のスパイラルにはまっていた。

育った環境の影響もあったかもしれない。勉強でも野球でも、それほど強く望まなくても思った通りの成果は常に出てきた。家庭でも、両親が失敗しないよう先読みして助け舟を出してくれた。服装や時間を守ることなどの礼儀にも厳しかった。

気がつかないうちに守られ、何かを目指し乗り越える力がついていなかったのかもしれない。言い換えれば、大人へと成長する過程で、失敗した、上手くいかなったという感情と向き合う機会に出合わなかったとも言えるだろう。

高校時代、進路として考えていたのは医学部だった。有終の美を飾れず、最後は不本意だった野球部を引退すると、モーレツに勉強した。野球の借りを勉強で返すつもりだったが、心のどこかで、(野球と同様)一生懸命やっても失敗するんじゃないかという気持ちが、逃げにつながったのかもしれない。国公立の医学部一本に絞った結果、一浪する羽目になった。

浪人しても勉強に身が入らず、夜に新潟の海まで中学時代の友だちと遊びに行くことも。大学で何の勉強をしたいのかも見失っていたころ、両親が銀行業務に打ち込む姿を見たのと、自分の数学が好きなことから、会計の仕事もいいなと、経済学部へ進路変更を考えるようになった。

医学部志望から転換

再びチャレンジをしすぎて失敗したらと、難関な医学部を避け、逃げを打ったところは否めない。2浪はしないように、受かりそうな私立の経済系学部を約10校受験したうち、1校を除いて全て合格した。立教大を選んだのは「夢に出てきたから」だ。訪れたこともなかったのに、浪人中の夏、昼寝をしていると、なぜか立教大のキャンパスを歩いている自分がいた。立教大に行きたいともまだ思っていなかった時期だけに、合格すると、迷わず選んだ。

でも、それが結果的によかった。失敗することが頭にちらつきながらも野球に医学部にと目いっぱいチャレンジする姿勢をあらため、「屈託なくやろう」と、大学生活を謳歌する気持ちに切り替わっていった。多少間違っていたりおおざっぱであったりしても、一から戻って綿密さを求めるより、とにかく前に進むことが大事だと言い聞かせた。

就活は、失敗の連続みたいなものだ。面接官との相性やたまたま飛んできた厳しい質問次第で、辛いことも多い。だけど、振り返ってばかりいては深みにはまるばかり。原因を探るのではなく、とにかく自分がどうすれば前向きになれるかを心がけた。そうしたら、悪い部分を矯正することを考えなくても自然と成長したのか、うまくいくようになった。高校野球や大学受験の失敗の経験がなかったら、就活でも、いつまでもくよくよしていたに違いない。

ギラギラと上昇志向の強かった高校時代から、いい感じで肩の力が抜けてきた大学の4年間。その変化は、サークル活動やゼミなどで培われたところも大きい。そのことは、次回に。

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