挑戦に限界なんて決めず、まだまだ進化していきたい
時を超えて愛される楽曲を数々生み出し、ソウルフルに歌い続けてきた渡辺さん。音楽コンテストの受賞から数えて40年を迎えた今年、ベストアルバムをリリースし、来年の還暦を前に力強く活動中だ。
21歳の時に自作のデビュー曲が大ヒット。その後も多くのヒット曲を送り出し時代の寵児(ちょうじ)となるが、やがてバンドブームの到来などから勢いは一気に失速していく。
「急に世の中が自分から遠ざかっていくような孤独感がありました。それまで押し寄せていた波の大きさ、そして引いていく恐ろしさ。20代でそれを知ったことは、ある意味とても残酷でした」
外に出ると自分の顔をみんなが知っている。でも、以前とは反応が違う。「いっそ私のことなんて忘れてくれたら、もう一度がんばれるのに。そう願うものの実際何をすればいいのかも分かりませんでした」
時に歌えなくなるほど自信を失い、30代になって環境を変えるため米国アリゾナへ語学留学も兼ねた充電の旅に出る。その際、学校のパーティーで自分のオリジナル曲を求められ、歌ってみると大喝采を浴びた。
「うれしかったですね。そしてこの時、自分の中から生まれてくるもの、感じるものを大切にしていこうと再確認しました。そのためには、アウトプットばかりで空になっていた自分の中身を満たし、自らを深く掘り下げようと思い定めたのです」
半年で帰国した渡辺さんは、ラテンやジャズなど様々なジャンルの音楽に挑戦していく。多くのバンドやライブに参加しながら、創作も続けた。ジャズでは特有のアドリブに翻弄(ほんろう)されることもあって、当初はそれに泣かされたが、自分からそのアドリブを仕掛けられるようになるとハマったという。
そうやって心身に取り込んだ様々なリズムや歌唱法、言葉は、やがて体からあふれ出し、より自由に豊かに歌えるようになっていった。
40代後半からは両親や恩師を次々に亡くすという経験もする。しかし渡辺さんはそういったショックを乗り越え、50代で自分の事務所の設立を果たす。
「道に迷ったこともあったけど、その時々でできることに挑戦し、好きな歌を続けてきました。だから今はこれまでにない充実感があります。これからは、広げた自分を絞り込み、本当に自分が目指したいところに行ってみたい。まだまだ進化できるはず。限界を決めるのはいつだって自分です」
(9月21日掲載、文:田中亜紀子・写真:南條良明)