仕事がつまらない。それは「次へ進め」のサイン
これまでに数々のヒット作を生み出してきた、映画宣伝プロデューサーの鈴木さん。
特に映画青年だったわけではなく、新卒でたまたまのように入ったのが洋画配給会社だった。しかし経験を重ねていくうちに、映画を宣伝するという仕事が自分の天職だったんだと思うようになったと語る。
「映画の宣伝は包装紙と同じです。本編の中身は変えられないので、ヒットさせられるかどうかは宣伝の演出次第という部分も大きいのです」
とは言え、「作品の評価はお客様が個々の心の内で行うものなので、いかに面白さを伝えられるかという戦略の面では大胆で自由な発想でやれました。興行成績は毎回シビアに受け止めていましたが、アイデアをいろいろと発揮できるのが楽しくて、この仕事、僕に合っていると感じましたね」。
転機が訪れたのは32歳の時だ。担当した映画は次々とヒットしていたが、何かつまらなさを感じ始めていた。「10年が経ち、ここでやるべきことは達成してしまったような気がしたのですね。でもつまらないという感情は、機が熟して次へ進めというサインだと考え、誘いを受けていた外資系映画会社へ転職することにしました」
ところがそこに、大きな挫折が待ち受けていた。まず英語の壁だ。自身の語学力では外国人の同僚に言葉も意思も伝わらない。「しかも、宣伝の仕方もアメリカと同じやり方をこなすだけでした。売るための創意工夫が許されないのです。それまでの経験は一切役に立ちませんでした。どんどん自分の存在意義を見失っていき、3年経った頃、退職を決意するまでになっていました」
ただ、このまま黙って去るのは悔しかった。「最後くらい自分のやり方を貫いてやれ」とアメリカ本社からの指示を無視し、あるSF大作で日本市場に合わせた宣伝を敢行した。結果は興行収入約135億円と大ヒット。叱られたものの鈴木さんは会社に残ることとなり、以後、日本独自の宣伝も認められた。
そして2010年には日本の映画会社へ転職。気づけば映画人生30年となる。「長くこの仕事に携わってこられたのは、今のようにネットに頼らず、実際に外に出て人に会い、見て聞いて感じて考えてきたからだと思います。悩んだり、失敗したりといったリアルな体験に勝る教材はない。経験で人は強くなる。そして仕事もさらに楽しくなるんです」
(井上理江=文 南條良明=写真)