「きっと仕事で活かされる」
三島 有紀子が語る仕事―2
無手勝流の勢いだけで
アポ無しで持ち込んだ企画
大学時代は、自主映画を制作するために企画や脚本を書き、アルバイトでお金をためては次作を撮るという日々を過ごしていました。私の専攻はグループワークにおける心理学で、社会福祉主事の実習授業として児童相談所にも通っていました。
その時出会った、インドネシアのある一つの養護施設の存在が興味深く、ぜひドキュメンタリーを作りたいと思い立ちます。でも掛かる費用は非常に高く、私のアルバイトなどではどうにもなりません。どこかお金を出してくれる所はないだろうか。そこで意を決して企画書を書き、NHKに持って行きました。知り合いはいないし、アポイントを取る部署も分からないので、普通に受付のお姉さんに声を掛けるしかありません。
「こういう企画を持ってきたんですけれど、プロデューサーの方に会わせてもらえませんか」。そう頼み込むと大層丁寧に断られ、それはそうだよなとすごすご帰ろうとした時、中年の男性が奥から出てきて2階の喫茶店で話を聞こうと言ってくれたのです。「面白いから企画を出せばいいけれど、NHKを受けるという選択もあるよ」と言われ、初めて就職という手があることに気がついた。まさかお給料を頂きながら作れるんですかって(笑)。
それからは映画会社や民放なども受け、やはり職種別採用のあるNHKに入局しました。ディレクターとして採用されたら他の部署への配属はなく、企画を通せば初日からディレクターとして仕事ができるという仕組みは魅力的でした。そのヒントをくれたあの親切な男性にお礼を言いたくてずっと局内を探し続けたのですが、不思議なことにどうしても見つかりませんでした。いったいどなただったのか、今も謎です。何も知らない大学生が、勢いだけで飛び込んできた。そこに感じてくださるものがあったのかも知れません。
諦める瞬間を作るな
ディレクターとして配属された制作セクションで、私は衝撃的な二つの言葉を言い渡されました。一つは「もうあなたたちはあなたたちではなく、イコールNHKである」。組織に入るとはこういうことなんだと少し萎(な)えました(笑)。二つ目は今の私にもしっかりとつながっている、「我々は最後の最後まで諦めてはならない」という言葉です。
企画が通った段階から放映まで、決して諦める瞬間があってはならない。例えばドキュメンタリーの撮影で、あまりいい素材が撮れないまま編集に入らなければならないということもあります。でも、編集の時に自由な発想でいくらでも工夫できるし、編集でダメなら次の段階で挽回(ばんかい)するんだと。この教えは私の心に刺さりました。現場で救えなかったことも、完成までのどこかで絶対救ってやるぞ、素材を生かしてやるぞというのは、私の仕事観の柱になりました。
まあここまでだろうと、自分では決して思いたくない。もうちょっと上まで行けるんじゃないかという、ほんのわずかな隙間を見つけたら必ずその部分を埋めます。映画で言えば、現場での演技が一番大事ですが、それを踏まえつつ役者さんに、映像にかぶせて別のセリフを再演するアフレコをお願いすることもあります。それが、仕事に関わる責任かも知れません。(談)