「無理しても頑張る」
蜷川 実花が語る仕事―2
タフでいなくては
自宅でデビューしたかった
デビューから、演出家の父親のコネとかを絶対使いたくなかった。それで、父からは一人も紹介してもらわずに、雑誌の裏にある電話番号に掛けて「私の写真を見てください」と頼み込みました。でも、なかなか見てくれないものです。「ミーティング中です」「外に出ました」「もう帰りました」って、電話がつながるまでに半日かかっちゃったり。
それでも何とか見てもらい、そうやって一個一個仕事を取ってきた。良かったら次はもう少し大きいページに呼んでもらい、それを見た別の雑誌社から使ってもらう。ギャラなんか全然出ないような仕事も結構ありました。また「今から渋谷に来られる?」とか、「渋谷で撮ってきて、そこら辺」とか。面白いけどとんでもない仕事ばかりの雑な始まりなんですが、そういう小さな積み重ねで、大雑把に言うと今日に至ります。
木村伊兵衛写真賞を受賞した2000年頃は、女の子が写真を撮ることに価値があるという時代で、女性写真家3人が同時受賞だったんです。私一人を選んで欲しかったけど。ただこれは、今までに例がなく若い女性3人が取ったということで、マスコミなどにものすごく消費される危険な出来事でしたが、この波に乗るか乗らないかは自分次第だから意識的に乗っていこうと思った。そこをくぐり抜けていくのって、やっぱりタフじゃないとできないんですよね。
今は会社を持っていますが、やはり基本的にはフリーランスと同じで、一回失敗するとあっという間に使ってもらえなくなります。だからいつでも、何かどこかに私が入り込む隙はないかしらと思って、こういうのはどうですか、とやっている。連載などはほとんど全部そうです。タネをまけばいつか芽が出ることがありますから。
仕方がない、を何とかする
声を掛けて頂いた仕事は、日本はもちろんアジアの国々からの撮影依頼もまずお引き受けします。どこかで私の仕事を知って、一緒にやってみたいと言われるのはうれしいですからね。そしてまた、思い掛けないことばかりが起きる。
例えば先日、ある国のドラマでポスター撮影の依頼を受けました。主人公の男の子、女優さん、2番手の男の子がそろっての写真と聞いていたのに、着く直前に主人公がダブルブッキングしたので来ないという。「でも代役がいますから、今日の撮影後に顔をすり替えます」と。結局、その代役で撮影し、主人公の顔はアシスタントが撮りに行って合成になりました。
別の海外の仕事では、「白い背景紙しか用意できませんが、実花さんぽくよろしく」と言われたんですね。そんなこと言ったって白は白にしか写りませんよとなって、慌てて地元の布屋さんと造花屋さんを走り回り、「実花さん」っぽく自分でセットを組みました。
でもやっぱり大変な場に行くのが好きなんですね。そこで私は「ま、いいか」と、いい意味でとにかく受け入れ、その現場の問題をクリアしていく。どんなことになっていても、精いっぱいやってみた結果がうまくいったら、その達成感は半端じゃありません。予定通りにはいかない仕事を自分がどう乗り切っていくか、試したいんです。(談)