「無理しても頑張る」
蜷川 実花が語る仕事―3
決して丸くならない
母でもクリエーター
写真家としての仕事にこだわっていた私が初めて作った映画は『さくらん』。江戸時代の遊郭の話です。友人の土屋アンナさんに主演を頼み、彼女は「私は女優になる気はない。でも、実花だから出るんだよ」と引き受けてくれました。私もありとあらゆる力を振り絞った。映画を作るというのは、今まで生きてきた知恵やら何やら全てが必要なほど大変なことでした。
その後に1人目の子どもを授かりましたが、私は「母になったら聖なるものになる」みたいなことにすごく反抗していたので、「顔つきが優しくなったね」と言われるだけでも本当に嫌だった。母乳信仰にしても何にしても、「こうでなくては」がお母さん界には多すぎる。なぜそうやって型にはめて、みんなが思考停止してしまうんだろう、馬鹿じゃないのと思ってイライラしてました。
もちろん子どもはあまりにも可愛く、自分の世界が完全な球体の中に包まれたようでした。子どものベッドで転がりながら日なたぼっこをして、一日が終わっていく。でも、その日がとても幸せだと気づいて、「これはまずい。モノを作りたいという欲が無くなるんじゃないか」と怖くなったんです。
その頃から、このままではいけないと思い始めました。クリエーターは満ち足りて表現が丸くなってはダメだと考え、意識的に「とにかくとがったものを」とかじ取りをするようになっていきました。子どもがめちゃくちゃ可愛いので、何とか抵抗が必要だった。そこで写真集『noir』という結構暗めの作品集を出したり、全身美容整形したスターモデルの映画『ヘルタースケルター』を作り始めたりしました。
とがった表現から降りない
私はクリエーターとして、ずっと現役でいたいと思っています。現役って、無理かも知れないとひるんでも、次へ手を伸ばそうとする人じゃないかな。『ヘルタースケルター』の制作陣は、私の映像世界を知っていて一緒にやってみたいと集まってくれたチームでした。相変わらず私は未熟だし、「俺についてこい!」みたいなタイプじゃないけど、こういう映像を目指しているという共通認識はあった。
それでも具体的な映像は私の頭の中にしか無くて、それを言語化しないといけないわけです。黙って座っていても進まない。毎回、撮影現場では緊張していました。答えが自分の中にしか無くて、それがいいかどうか分からない怖さ。やはり、この時も自分の経験を全て注いだなと思います。
公開してからは評判も良く、何より自分の中でやり切れた思いがあって、すごく楽になったかな。映画2作を撮り終えて、今までの小娘感が完全に無くなりました。どういう方向で、どういう角度でやっていけばいいかという切り替えが早くなったように思うし、仕事をする時の包容力がつきました。
写真家であることにこだわり続けてきた私ですが、それでもやりたいことや求められることはやってみたらどうかと思って、一気にやり始めた時期です。収拾がつかないくらい何屋さんだか分からなくなりましたが、でも一つ自由になったというか、自信がついたんでしょうか。「無理をしなくてもいいや」という気持ちを乗り越えることが力になったと思います。(談)