「思うままに経験を積もう」
鈴木 優人が語る仕事―1
自由で本気、何事にも
何を学ぶか、僕が選んできた
チェンバロとオルガンのソリストであった父が当時学んでいたオランダで生まれ、帰国後は父が教壇に立っていた神戸松蔭女子学院大学の近くで育ちました。オルガンを弾く父の隣でその音や動きを感じ、楽譜をめくるアシスタントなどをする環境でしたが、でも僕にはそれが親の仕事と共にある日常でした。両親共に息子を自由に育てようと考えていたらしく、ピアノなどを習ってはいましたが、音楽を仕事として目指すといったガチガチの音楽教育は全くなかったですね。
小学3年生の時に東京へ転校。そこで得意科目は何とクラスメートに問われ、「国語と算数と社会と理科と体育と音楽です」と答えるような天然児でした(笑)。ガキ大将に目をつけられて最初は大変でしたが、やがてその子とは本気で大げんかをして仲良くなった。この時、言いたいことを本音で言うと距離が縮まるという体験をしたと思います。中学・高校時代もやりたいことをやって自由を満喫し、東京芸術大学の作曲科を目指しました。入試は大変で、和声4時間、フーガが5時間、作曲8時間。それが1次、2次、3次にあって、ハーモニーや基礎の勉強を必死でしなければなりませんでした。
入学して個性の強い面白い仲間に恵まれましたが、特に大学の授業で何かを学んだ故に今の自分があるというような実感はありません。なぜか。そもそも僕は昔から、物事は人から教えられて学ぶものではないと考えていたからです。先生から教えを受けられるなんて幻想であり、学ぶべきことは自分自身で探り当てて進むものだと確信していました。
もちろん、技術や習得すべき基礎は大切ですが、自分が仕事で糧とすることはもっと深く大きく耕す必要があるのです。それは体験によってもたらされていくのだと考えてきました。
ピアノの先生が残した謎
そういう自分を耕す機会となった幼い頃の体験があります。小学生の頃にピアノを習っていた木村徹先生が、本当に個性的で不思議な方でした。指の動きの速さを鍛えるような技術を教えるよりも、まだ恐らく小学5、6年生だった僕にベートーベン後期のソナタを課題として与えるのです。弾くのが難しいだけではなく、より精神世界に踏み込むような曲で分かりにくい。小学生に古典芸能を教える時にいきなり難解な能からやってごらんなさいというようなもの(笑)。先生自身が今考えている目線で物事を語り、手取り足取り教えるようなことはない。
さらに「次のレッスンは3時17分で」とか言うんですね。しかも必ずそこから5分遅れて行かないといけない。それがポリシーなのです。ぶっ飛んでるんです。時には4時間もレッスンが続いたりしましたし、毎回毎回、終わりが読めない面白い先生でした。そして今も僕は、その解けない謎を抱えているのですね。合理的ではない、なぜそうなさったのかも分からない。それでも僕は強烈に記憶している。幸運にもこれまでの人生で、木村先生のように、答えを与えるのではなく謎を残してくれるような先生に出会ってきました。
効率良く、約束通りに運ばれることは大切ですが、人間はそれだけを求めてはいない。だから仕事は面白いのだと思います。 (談)