「思うままに経験を積もう」
鈴木 優人が語る仕事―2
神輿を担ぐ人間でいたい
15歳で企画した初演奏会
通っていた麻布学園にはオーケストラがあり、僕は指揮をしたり、楽器を演奏したりと参加していたのですが、もう少し活発なオーケストラにしてみたくなりました。そこで、自分たちだけで学校の外で企画しようと動き始めたのです。
友人と電話を掛けてホールを借り、ピアノの先生から紹介してもらい当時まだ桐朋学園大学音楽学部附属指揮教室の学生だった指揮者の下野竜也さんにお願いをしに行き、演目を決め、練習日程を組み、チケットの切り取り線が必要だと破線カッターを使い、と全てを一からやりました。演奏会を丸ごと一つ成功させるにはどれだけ大変か。でも、多くの人を巻き込んで、そして聴衆に喜んでもらうことがどんなに面白いかを知った15歳の初企画が、僕の今の原点です。
振り返ってみればその頃から、分業化してしまった音楽家の世界があまり好きではありませんでした。例えばピアニストがコンサートでピアノ演奏を依頼されたら、書かれた音符を間違いなく弾いて何も言わずに帰ることが理想とされています。でも僕は、担当でもないのに、そのコンサートチラシのミスプリントまで気がついてしまうタイプです。もちろん大人なのでいきなり指摘したりはしませんが(笑)、でも、自分が主催するならそれができる現場にします。力は持ち寄って大きくしていくものだと思うからです。
鳴らされない楽器は可哀想
分業化の現象は、音楽家だけでなく一つひとつの楽器にも起きています。僕は本格的にオルガンを習い始めた大学時代に、もっともっと自分の自由に弾ける環境が欲しかったのですが、オルガンという楽器へのアクセスは難しいものでした。
大きなオルガンはコンサートホールや教会に据えつけられているものが多く、余程の財力がない限り自分の楽器にはできません。だから今でも「1年に1回ぐらいしか使っていませんが、鈴木さん、弾いてもらえませんか」という依頼を頂くと、うれしいと同時にオルガンに向かって「寂しかったでしょう、待たせたね」と語り掛けたくなります。
オルガンを弾きたい演奏家と、素晴らしいオルガンとが出合う機会を持てない。それなら自分から企画しようとするのが、僕の仕事への取り組み方です。象徴的な言い方ですが、寂しい楽器と実力のある音楽家も放っておけません(笑)。誰かがそれを演奏会にしたら、また音楽のファンが増えるのではないでしょうか。僕はそんな新しい神輿(みこし)の担ぎ手でもありたい。
現在では麻布学園のOBオーケストラが発足し、ジャズピアニストの山下洋輔さんと意気投合したり、現代音楽の作曲家・藤倉大さんに自身の世界初演曲を委嘱したりと、とても精力的な活動が続いています。演奏する人も聴く人もみんな、一緒に大きな音楽の懐に抱かれれば、本当に楽しい。
みずみずしい子どものような気持ちで、思い立ったらやってみる。そんな選択も仕事に取り入れてみてはどうでしょうか。そこには失敗も成功も関係ありません。自分の経験という財産が増えていくだけです。反省する暇があるなら、すぐに前を向いて次を考えましょう。(談)