「きっと仕事で活かされる」
三島 有紀子が語る仕事―4
自分の生を支えるために
なぜ映画にのめり込むのか
映画作りは時間と資金が掛かります。企画を考え、脚本を書き、時には資金集めに企業へお願い行脚をし、役者さんを口説く。そこまでやってようやく撮影が始められます。撮影現場はプロたちの真剣勝負ですから、監督の私がぶれるわけにはいかない。時間との闘いの中、様々な問題が山となって押し寄せ、悔しい思いもたくさんします。それでもまた映画を撮る。理由はない、衝動だから。でも、今回「仕事」というテーマを頂いたので、その衝動の原点の一つをお伝えしてみようと思います。
重い話ですが、私は幼稚園を終えた6歳の時に、路上で声を掛けてきた男からいたずらを受けているんです。その日からこの体を壊したい、死にたいと思って生きていて、ふと、4歳で見た映画『赤い靴』を思い出しました。主人公はバレエと恋の板挟みになって自殺という選択をしたのです。「ああ、苦しかったら死ねばいいんだな」と逃げる道に気づいたら楽になった。今日は死にたいと思っていない、ということは生きたいってことだなと、自分で選んでいる認識ができるようになって、ようやく生きることを肯定し全開するようになりました。
まさにあの映画に救われて、今日をこうして生きている。だから私と同じように生きることが苦しい人に向けて、自分が表現する『赤い靴』のような映画を作り続けたいのです。仕事には、人それぞれの成長や成功への願いが込められていると思いますが、私のように仕事に助けられて一日ごとに前へ進めることもあります。映画制作という仕事が、私の命を支え活かしてくれているのです。
私の映画『しあわせのパン』では、生きづらさを抱えながらも人を照らし、また人に照らされながら互いを思いやるファンタジーを描きました。また一方、ヒリヒリするようなリアルな映画も撮っています。「生きよう」と思ってもらいたいからです。
もがく姿は美しい
『オヤジファイト』という27分の短い作品を撮った時、ラストに新橋の駅前でシャドーボクシングのシーンを撮りました。主人公は気が弱くて、結局試合に出られなかった男、役者はマキタスポーツさん。遠くからカメラを回していたら、何と実際の酔っ払いが近寄ってきてマキタさんをからかい始めた。ところがマキタさんは素に戻ることなく、そのまま主人公として延々と酔っ払いに応じ続けたんですね。
いいなあ、やっぱり役者は狂ってるなあと愛(いと)おしくなりました(笑)。何だろう、一応役者も仕事ではありますが、自分の表現に向かってきちんともがいている。どんな仕事をしている人でも、「あれ、これでいいのか」と立ち止まることはあると思うのです。周囲と自分のつじつまが合わない。そこをスルーして良しとするか、もがいて苦しむか。
映画は、もがく人間を描く仕事なのだと思います。「もがいて生きている姿こそが、面白く、尊い」と生々しく伝えることができる。世の中はそんなにスムーズじゃないし、同じ価値観で動いているわけでもない。だからあなたが感じている違和感だって、紛れもなく一つの価値観なのです。その声に従っていけばいい。私にとっての映画のように、そういう仕事こそ、自分を支えてくれるものだと私は思います。(談)