「失敗や恥では死なない」
出雲 充が語る仕事--1
世界はフェアじゃない
自分と他国とのギャップに驚く
それは中学3年か高校1年だったと思います。NHKの「映像の世紀」というドキュメンタリー番組に夢中になりました。ある日、今も食べ物がなくて困っている人や国を追われる難民が数多くいるという悲惨な映像が流れ、「本当か?」と信じられず、その印象は強烈でした。だって私の周りには食べ物がないとか、国籍がなくてパスポートが取れないとかという状況が存在していない。10代の頃なんて自分の周辺が全ての世界ですから、不思議で仕方がありませんでした。
まだインターネットが普及する前で、かなりの本や資料を調べてみると、実に多くの筆者が食料問題や難民について大変だ大変だと書いている。やはり現実らしい。自分がどれほど恵まれた環境にいるのかを知って、とてもやるせない気持ちになりました。「それほどの数の人が苦しんでいるなら、国連に就職して何かしなくては」。まだ漠然としていましたが、飢餓に苦しむ人を救う仕事をしたいと思いました。
しかし、大学1年の夏に学外活動の一環でバングラデシュを訪れ、自分が無知だったと気づかされました。同国では誰もがご飯にカレーをかけ、毎日おなかいっぱい食べている。食事の配給に人が並ぶという光景もない。自分の思い込みとは違う印象が鮮烈でした。もちろん国連も多くの物資を支援している。しかし課題は別にあり、不足しているのは栄養素だったのです。
戸惑いながらも現地で活動している方々に「将来、国連で働きたい」と告げると、「国連に行っても、すぐにバングラデシュの現状を変えるのは難しいかも」と誰もが異口同音に返してきました。なぜ国連では栄養素を支給できないのか。それは、電気がなくて食べ物が腐ってしまうから。日本では当たり前の生鮮食品の物流ができず、電気のない途上国に野菜を運ぶことが難しいのです。では自分には何ができるのか。私は進路に迷ってしまいました。
栄養素の普及を実現したい
途上国では食事のカロリーは十分だけれど、ビタミンやミネラルが圧倒的に足りない。人類が持っている知恵では貧困や飢えに対して本質的な解決が難しい。ならば新しい技術を見つけるしかない。まずはできることから始めようと、私は文系の学部から農学部へと移り、選んだのは「農業構造・経営学専修」。栄養普及をビジネスにできたら世界を救えると考えたのです。
どうすれば人間にとってより良い農業を実現できるのか。米や乾パンだけは毎日食べられても、新鮮なリンゴは食べられないという地域にどうすればリンゴを届けられるのか。私がバングラデシュで体験したことも農業の「構造」の問題です。流通経路が未発達な国では地場作物以外の栄養素が口に入りにくい。これは誰かが取り組まなければならない課題です。
ゼミの担当教授であり、農業経営学の研究者である木南章先生がおっしゃっていた言葉、「みんなにおいしいものを食べてもらう、という根源的な人間の欲求を満たすことができるのが農業なんだ」。その仕事こそ私のストライクゾーンど真ん中、心に響きました。大きなことを言っていると今も笑われることがあり、失敗もしたりしている私のビジネス人生は、こんな思いから始まったのです。(談)