「先人あっての、わが音楽ですね」
細野 晴臣が語る仕事--3
無理に心をせき止めず
振り子のように揺れていい
YMOを1983年に解散してから、僕は様々なアーティストの曲を作り、CMの曲も手掛け、多くのプロデュースも引き受けていました。バブルと呼ばれた時代背景もあって、仕事も多彩で、音楽仲間たちと一緒にいる時間が長い活動的な年月でしたね。
でも、この80年代の初期から中ごろ、日本から遠いアルジェリアなどアラブの国々では、60年代の独立後もずっと紛争が続いていたらしい。難民が大量にフランスなどへ渡り、例えばパリにアラブ人街が出来たりしていたようです。そして、こうした異文化の地で生きることに必死な日常から、また新しい音楽が生まれてきていた。アフリカからアメリカへやってきた人々がブルースやR&Bを作り出していったように、パリで評判になり始めたアラブのミュージシャンによる「ライミュージック」です。
これがとても素晴らしかった。アラブ音楽の伝統からは離れているけれど、アルジェリア独特の匂いは残している。そこにテクノを採り入れたり、開放的でモダンに展開されたりする曲が、僕には面白くて仕方がありませんでした。NHKで番組を作ろうということになって、取材にも行き、ライミュージックの存在を世間に知らしめたいと考えていました。
ところが90年に始まった、石油の争奪を巡る湾岸戦争によって、急にこの音楽を耳にしなくなっていった。国際紛争の火の粉が降り掛かり、僕にはあの頃から音楽世界が閉じてしまった気がするんです。元々「ライ」という言葉は「意見」を意味すると聞きましたが、音楽が口封じをされてしまい、やがて「アンビエントミュージック」という一分野が生まれてきます。何も主張することなく、空気のように漂う静かな曲を一人ひとりが聴きながら平静に戻る音楽とでも言うのかな。僕も、この時はアンビエントの曲を作りたいと強く思いアルバムを出しました。何か、音楽というものが差し迫った時代にあったように思います。
細野の音楽は変わったと当時はよく言われましたが、あっちに行き、こっちにも行き、ただ自分らしい仕事のバランスを見つけてきただけなのです。
自分にうそをつくと見破られる
音楽というのは一つの力です。そのエネルギーは伝搬する。だから信じて歌い、演奏すれば伝わっていく。聞く人に、僕は今、この曲が面白いんだという気持ちをぶつけることが全て。うそはつけない、すぐ見破られるから。仕事は、そうやって本気になれるところを探すことかも知れませんね。
ジャンルが違っても、中島みゆきさんの歌は僕の心に入ってくる。ただ、自分で出来るかと言えば無理です。でもそれでいいんですよね。自分には出来ない歌を誰かが歌い、僕は自分にしか出来ない音楽を本気でやる。そうして、影響し合って伝わるものがあれば十分だと思います。
人間は褒められることがうれしいし、頑張った仕事で結果を出せれば、もっと木の上に登りたくなる。でも、もしそれが無理している状態ならば自分でも分かるものです。そう気づいたら下りてきて、また惹(ひ)かれる木に登り直せばいい。僕は「ぶれない」という言葉が苦手。もっと柔軟でいいよと思っています。(談)