「先人あっての、わが音楽ですね」
細野 晴臣が語る仕事--4
老若男女が踊れるように
音楽表現は、古典落語に似る
僕はずっと音楽の世界で仕事をしていますが、それで自分の独創性を残したいとか、名前を刻みたいとか、今はそういう意識はありません。しかし若い頃は違っていました。オリジナリティーにこだわり、新しいと言われる試みも随分やってきましたから、すごいものが出来たと高ぶることもあれば、なぜこんな曲を作ってしまったのかと落胆することもありましたね。
ところがそのうちに思い知らされたんです。民族音楽はもちろん、クラシックやジャズ、ブルース、ダンス音楽、ロック、ポップスなど様々なジャンルのものを聴き、影響を受け、世界中に数え切れないほどある新旧の音楽を知れば知るほどに、その量と多様性と豊かさに圧倒されるものがあると。例えば、自分が刻むこのリズムは新しいぞと悦に入ってみても、膨大な過去の表現のどこかで先人がとっくに弾いている。それが長い時間をくぐり抜け、愛され、今も生き残っているわけです。僕は、過去の音楽に対して謙虚にならざるを得ませんでした。
では、自分に出来ることは何か。あらゆる音楽には既に先人がいると思うので、僕はミディアム、つまり媒介として好きな音楽に自分の印を少し付け加え、次に渡せばいいと考えました。それは言わば古典落語に似ている。伝統を生かしつつ「現代」を少し付け加えるという作業をやらないと、老若男女に喜んでもらえない。新作落語だけで走ったら、その時の若者だけが楽しんで終わりとならないでしょうか。世代を超えて誰もが楽しめる表現とは、人間の本質を満たすもの。僕はそういう表現者へと思い至った。
もし今、おじいさんもおばあさんも喜ばせてくれるような音楽があれば僕だって踊りますよ(笑)。多くの歌や踊りは、ずっと人間を楽しませ、求められてきたから伝統として残ってきたわけです。僕も、そんな喜びを生み出す仕事をやり続けたいと願いますね。
何でも個人で、は寂しい
僕は、今の時代がなかなか息苦しい要因として、「あなたはどう考えるか」「あなたは何を選ぶか」といった自分の意思を絶え間なく問われる現状があると思う。やりたい仕事は自分で決めようと言われるし、広告や雑誌などはターゲットをとことん細分化して自分に迫ってくる気がします。いつも、どんな時でも、もっと言えば音楽の趣味も「あなたは何が好きか」と個人の答えを強いられていませんか。
これでは、地域や家族といった社会的な価値観から切り離され、個人が点としてしか存在できなくなる。それは豊かに生きるための財産を受け取らないということで、まさに、僕がオリジナル曲の創作にあえいでいた若い時に近い。でも気付けると思います。既にある伝統って、みんなが長い年月を掛けて作り上げてきたものだから、あらゆる英知が蓄えられていると。それを学び把握してから、自分のありようを決めてもいいんじゃないですか。
若いのだから、新しい発想を持ち、とがって仕事をするべきだなんて風潮には、まず先人を学んでからと考えてみてはどうですか。仕事とは、どうやって多くの人の糧になれるかを工夫することに尽きるから。僕は、音楽が人間のよりどころのひとつということを忘れずに曲を作り続けます。(談)