「興味を追って仕事の核に」
磯田 道史が語る仕事--3
独自カリキュラムの勧め
自分に命じるプロジェクト
前回、スタンダード教育の終わりが来たという話をしました。義務教育から大学までの16年間の教育を全否定するつもりはありませんが、標準の教育だけでは乗り切れない時代に、これから入ることは知っておくべきでしょう。横並びから頭一つ抜きん出る独創の仕事力をどう手にするか。若い世代に意識して学んでもらえたらと思います。それを真剣に考えなければ、この国はますます衰えます。
では、どうすればよいのか。学ぶカリキュラムを自分で立てる。これがポイントです。僕は子どもの頃から「毎日調べるプロジェクト」をやってきました。調べれば数時間で分かるもの、数年間、数カ月、数日計画で研究しないと解決しないものといろいろありますが、いつも自分の研究プロジェクトを並行して何十本も脳内に走らせています。例えば日本の教育は行き詰まってきた、しかし人工知能(AI)の時代に突入する今、生きていく本当の力になる研究は何か。その命題を「磯田道史、研究せよ」と自分に命令してあります。
これを決定したのは昨年9月でしたが、その大きな命題から個別の研究が頭に数多く降りてきて、次の思考が始まります。比較的未来型の研究をしていると思われる、世界的に評価が高い教育地点はどこか。それがフィンランドなら目的はフィンランドの教育研究なのですが、僕は単純に直線的にはやらない。自分なりの新たな回答を探します。そもそもフィンランド人は考古学的に見てどういう血縁、DNAでできた人たちか。第2次世界大戦中にソ連のスターリンとどう戦い、どんな国柄になったのか、まず戦った将軍の生い立ちを今日は調べてみよう、というように。
つまりフィンランドの分析に対して全要素を100ぐらいに分解し、それらを一つひとつ理解した上で組み上げてから同国の教育研究に取り掛かるのです。フィンランドが終わったら、別の国を同じように調べていきます。そうすると知識の副産物がすごい量になりますから。今日は、趣味のような1~2カ月研究の日で、卑弥呼の時代に卑弥呼と会ったと思われる人のお墓や、それを祀(まつ)る神社の全国分布を調べています。今度現地へ行って古墳の上を歩いてみようという僕のプロジェクト。遊んでいるうちに独自の知識がどんどん補給されます。
「のけ者」には底力が潜む
歴史が教えてくれるのは、江戸時代から明治への変革期を担った人の多くが、薩摩や長州など中央から離れた土地の下級武士だったということ。現代でも変化を起こすのは、一流大学卒のエリートというより「よそ者、馬鹿者、若者」だと言われたりします。僕はさらに、スキルを持ったのけ者という意味で「スキルのけ者」も加えたい。
中央から遠い地の下級武士は単なるのけ者ではなく、文字が読めて学問があり、世界認識を持って地元の行政にも携わっていた。つまり基礎となるスキルと外からの別視点を備えていました。僕は、若い世代が出身校や成績に自信なげにしている姿を見ると、「スキルのけ者」という非常にいいシチュエーションだと言いたい。たとえ就職戦線で希望の会社に通らなかったとしても、大きな船ほど沈むかも知れない現代です。そうなったらいつか自作のタグボートで助けに行ってやるぞと、そういう気概を持つ考え方もありだと思います。(談)