「興味を追って仕事の核に」
磯田 道史が語る仕事--4
人は、面白さで進化する
損得では壁を越えられない
長い人間の歴史を見ると「好奇心こそが扉を開く」ことが分かります。以前、お会いした魚類学者のさかなクンもまさにそうでした。彼は、絶滅種に指定された幻の魚クニマスの再発見に貢献しました。学術的にも大きな業績ですが、それを成し遂げたのは彼の探究心と感動力です。注力が苦にならない、それがいつの間にか仕事として比類のない成果になっていったということです。素晴らしいではありませんか。
例えば、科学研究費を申請して「国内で絶滅した魚類を再発見する」といっても採択されにくいでしょう。実現が予測できないほど難しい研究課題に、国民の税金を投入してよいものかと迷うからです。一方、誰も触れぬ「壁」を一人で、ノミ一本で彫り続け、風穴を開けて向こう側の世界を見ようとする「奇特な道楽人」が時折現れます。発見の楽しさを知った人間です。ずっとそういう気持ちで生きていく。面白いこと、楽しいことを見つけて決してやめない。これがAI(人工知能)にもできない人間の本質でしょう。
縄文時代から道楽人は居たようですね。生活の実用には土器だけで十分に足りる。ところが、膨大な手間をかけて漆器を作っています。漆の美に引かれ、ひたすら漆の木に切れ込みを入れて樹液をかき取り、漆器の色つやを楽しんでいた。「縄文人にも美しいものにこだわるオタクがいて、美を探究していたのだ」と感嘆します。
また、貝や石で作られたビーズも旧石器時代から見つかっています。太古の人々は厳しい生活環境で、平均寿命が短い。その中で一見「生存には無駄」な色とりどりのビーズを膨大に作っています。これは僕たちが今、芸術や文化と呼ぶ遊戯性。面白くてやめられない道楽と言っていい。これを持った生き物だけが「月面に行けた」のが史実です。僕らは「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」のDNAを持ち、それで生物的繁栄を謳歌(おうか)しているのです。AIが一層進んで知的労働も機械に委ねられるほどになったら、残るは芸術や文化・趣味などに、先進国の人類の関心はシフトし、産業も職業も「道楽化」が進む可能性があります。
では、今はどう動けばいいのか
何千、何万年ものスパンで人間の本質をお伝えしたのは、均一化を目指した工業社会が終わりを迎えているような今、そこを生き抜く知恵を共有したいからです。教育も生き方も組織に従ってやってこられた環境に対して、若い人はすでに違和感を持っているでしょう。「車で人を東京駅まで送れ」とか「当社の丼物をこの食材で作れ」といった具体的な仕事は機械で可能になります。一方人間には、「前例のないヒット商品を発明する」「社員を幸せにする」といった抽象的思考度の高い仕事が残るでしょう。
そうなると「人の幸せとは何か」といった哲学的思考や、情報や統計を総合して答えを出す総合的な知性でないと、仕事ができません。若い世代には、それを冷静に意識して欲しい。そうやって今日から、自分の力、本当にやりたい分野を確かめていってはどうですか。
これからは、「組織に所属しているから賃金が生まれるという仕組みは斧(おの)でたたき割られる時代だ」と僕は考えます。今の年収で自分の仕事の価値を測るのではなく、「なぜこの仕事が自分とこの世に大切なのか」という本質を問うてみてください。(談)