「日本ファンを増やし続ける」
谷川 じゅんじが語る仕事―2
志と技術の両輪が要る
思いを固め、実践力をつけよ
巨大なテーマパークで、キャストやトレーナーとして20歳から約3年間働きながら、僕は「人を喜ばせる分野」を生涯の仕事にしたいと考えるようになりました。ただ、この場所では接客やオペレーションなどのソフト部門は十分に経験できたけれど、施設の設計や製作などの領域には全く接点がありません。人を喜ばせるための仕組み創りを空間開発の側面から探求する必要性を感じ、僕はディスプレー業、つまり内装施工会社の門をたたきました。
実際に「空間」を作る仕事を選ぶことによって得られた経験は、かけがえのないものでした。常に実践的に物事を捉え組み立てる現在のプロフェッショナリティーは、全てこの時期に育まれた職能と言っても過言ではありません。そして僕には「仕事を極めたい」という強い思いもありました。長きにわたり慣れ親しんだ武道の世界を離れ、大学を去り中途半端な自分と向き合ったことも大きかったと思います。この先の人生をどう組み立てていくかは、結局自分自身の覚悟と努力の先にしか見いだせないと感じていたからです。
入社がかない、配属されたのは大手広告会社担当の営業部署。プロジェクトの多くはセールスプロモーションに関する空間施工です。仕事のサイクルは早く、オファーがきてから形になるまで短い案件なら1カ月か2カ月、長いものでも半年から1年といった時間軸で複数のプロジェクトを同時に進行管理していました。2002年にこの職場を去るまでの約12年間、多くの機関や企業の晴れの場を作り続け、イベントや展示会、発表会、表彰式、セレモニーなど様々な催事を手掛けました。
コンセプトに沿って空間を作り、訪れるお客様の反応を直接見る。裏方に徹するポジションで感じる緊張と喜びの連続は、その後の仕事の奥行きに多くの示唆を与えてくれました。
国と国とが関わるような公的な場作りには、準備段階から非常に細密な条件が数多く織り込まれます。それに対する配慮をきめ細かく順守し新たな表現を加えることによって、質が高く正確なメッセージが来場者へ豊かに伝わっていくのです。ホストの品格が示される状況や「世界に誇れる日本」という視点を意識するきっかけは、これらの体験から導き出されました。
インターネットの出現と情報革命
空間施工を手掛ける会社に僕が就職した1990年は、現在のような通信網はなく、携帯電話もインターネットも一般化したのはもう少し後です。普及し始めたインターネットに触れながら漠然と感じたのは、この仕組みには世の中を全部変えてしまうほどの力があるのではないか、という感覚でした。情報を得るには、それまでは幾つかのチャンネルを通じフィルターを通されたものを買う、というのが現実でした。現在、情報は求める人の意思によって様々な場所から見つけ出し考え選ぶことができます。まさにダイバーシティー、多様性の時代です。情報は非常に大切で、日常の生活用品からライフラインに関わることまで全てを網羅していると言っても過言ではありません。
そんな変動する世界の中でも変わらない価値がある。人は日常を抜け出して感動や体験を求める生き物です。そこに関わる領域を仕事場にしたいと考え、僕は自立を決めました。(談)