仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「デジタルは深く人を支える」
齋藤 精一が語る仕事―1

就職活動

時勢を映す仕事とは何だ

求める学問が日本になかった

10代からデザインやアートに強い関心がありました。しかし、美術大学の受験には予備校での準備が必要だと知った頃には時すでに遅く、結局、授業でデザインを学べる大学の建築学科を選びました。卒業後は多くが同大学院へ進むのですが、僕は上位3分の1の推薦枠を取れず、他の日本の大学院を受験するしかなかった。ところが、それにはまず教授たちにあいさつ回りをしてからでなくてはならない慣習があるという。なぜ媚(こび)を売らなくちゃいけないんだと、馬鹿馬鹿しく反抗的な気持ちになりましたね。

それならもっと広く、海外の建築大学院を検討してみたいと考え始めました。大学の学部の卒業制作では、地上50キロをずっと浮遊する空中都市を作ったのですが、すぐに教授から「君は建築をやらないほうがいい」と釘を刺されました。そうなのかと漠然と思い、次が見えないまま袋小路に入っていたのですが、この人の元ならと思える教授が米コロンビア大学にいました。

建築家ベルナール・チュミ。その頃、僕が心引かれていた「アンビルト」という、建築物からではなくて、まず理論から構築する建築を提唱していた教授です。魅力的でした。学力的に無理かと不安ながら、1浪し、記念受験だと思い切って挑み、受け入れてもらえました。

入学したら、パズルのピースがピタッとハマったように僕にフィットする授業で、建築学というよりも、まるで哲学。形の作り方、時代、人間、そういうことを考え抜くのです。心底のめり込みました。また、あの時代にあってコンピューターが大量に導入されていて、建築の授業でプログラミングを学び、出会ったのが「モルフォロジー(形態学)」です。

僕はその頃から、建築では変化を表現できないのかと違和感を抱いていたのでしょう。形があるものと、時代の流れをどう考えたらいいのだろうか。例えば街の開発では、土地の買収から計画、基本設計などを進め20年掛かるとする。では、20年後の人の動きを建築家は今決めるのか。こんなに変化が速い時代に、大きな建築が状況に合わせて形を変えるのは困難です。自分は20年後まで責任を持てるのかという疑問が頭をもたげていました。

クリエーティブの道を探る

コロンビア大学の建築大学院では、卒業して建築家になる以外にも、学んだCGを武器にハリウッドで映画監督になったり、広告エージェンシーに就職したり、起業したりと仕事を広げていく人が多い。自由に呼吸すればいいと感じましたね。僕自身は建築会社に就職したのですが、その直後に9.11同時多発テロが起き、建物を一から建てることが一時困難な状況になり、仕事が根こそぎなくなっていきました。

それで会社にも籍を置きながら、ベネチア・ビエンナーレの建築館で展示するデジタルを用いたアート作品などの制作を手掛け、クリエーティブが面白くなっていった。できればもう少し早く結果の出る仕事をやってみたいと、今までの職を全て離れて広告のクリエーティブエージェンシーに移りました。映像やCGというのは2、3カ月で作って、そのフィードバックを受けてリニューアルする。それは僕が求めていたスピード感でした。(談)

さいとう・せいいち ●1975年神奈川県生まれ。(株)ライゾマティクス代表取締役。東京理科大学理工学部建築学科卒業。コロンビア大学大学院で建築デザインを学びニューヨークで活動開始。2003年の越後妻有アートトリエンナーレでアーティストに選出され、帰国後06年から現職。アート、コマーシャルの領域で立体、双方向性の作品を数多く手掛ける。国内外の広告賞多数受賞。15年ミラノエキスポ日本館シアターコンテンツディレクター。
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