「丁寧な仕事に幸せが宿る」
武田 双雲が語る仕事―3
仕事は、人類の役割分担
競争社会の外にある価値
入社して3年余り。忙しいNTTの仕事にも順応していた頃、僕の書いた筆文字を先輩や同僚が褒めてくれた。「書道で食べていけるんじゃない?」と。うれしかったし、自分らしい仕事は魅力的だと思ってすぐに退職しました。何の保証も、食べていく手立てもない25歳の時でした。
そうして、手持ちのお金はなく、初めて住む湘南で糸の切れた凧(たこ)のような生活が始まります。書で生きていくってどうすればいいのかさえ分からない。でも惨めではないんです。腹が減って買い求めたパン一つのおいしさに感動したり、雨に降られてぬれても楽しかったり。自分の道を歩いているんだなという自由な気持ちが満ちていました。
ある日、道路で演奏しているストリートミュージシャンを発見し、隣でまねを始めたんです。書いた書を数枚並べたストリート書道家(笑)。もちろん売れない。それでも興味を持ってくれるお客さんが現れ、僕がその人のために言葉を書くと驚くほど感動してくれる。それが口コミで広がり、ついにはメディアに取り上げられるようになっていきました。そして僕は、自分の仕事は書を通じて人を感動させること、幸せになってもらうことだと確信したのです。
世の中には競争することが好きだという人も多くいます。それはそれで本人が楽しければいいと思う。他者と比較して営業の売り上げを競うとか、医師や弁護士を目指して社会的地位を競うとか。そしてそれを成し遂げた達成感もある。ただ僕が伝えたいのは、人からの評価や格差を気にする競争ではないところで、仕事を楽しいと言える人生もあるということです。
より大きく成長し、より利益を上げる経済の目的のために、一人ひとりの幸せが問われないままでいいはずはない。先の東日本大震災を経て、お金や出世は果たして人が生きる目的なのか、と深く疑問を抱く人が増えてきたように感じます。スマホやコンピューターの技術革新だけでなく、僕たちの心の中にも、一人ひとりの幸せや楽しさを大切に考える、大きなパラダイムシフトが起きているんですね。
どんな仕事も授かりもの
職業に貴賎(きせん)はないというのは本当で、どんな仕事に就こうと、上も下も差はない。この地球上に生きている全ての人が、それぞれ人類に必要な作業を担っているから世界が回っているというのが僕のイメージです。でも、僕たちは個人で生きているわけではなく、今就いている仕事も、誰かから僕らにつながったリレーなんだと思うんです。
この時代の日本に生まれたことだって奇跡のようですが、さらに、あなたは仕事を様々に考え、時には迷い、選んできて今があると思います。その結果、人類の膨大な営みの一部を仕事として授かったのです。そんな神聖な気持ちで仕事に丁寧に向き合ってみると、経験しなかった視点を感じられると思うんですね。
僕が書道家の道へ踏み込んだのも、自分から目指して突き進んだというより、幾重もの出来事によって連れてこられたような気がします。それは、「好き」「楽しい」という感覚が導き手であったと思いますね。(談)