「気持ちのままにアクセルを踏む」
丸山 京子が語る仕事―4
もどかしさも引き受ける
一期一会に責任を持つ
音楽関係の通訳の道を長く歩いていると、年下のインタビュアーが知らない昔の音楽を私は体験していることも多くなりました。取材対象の海外ミュージシャンのキャリアが長ければ、過去の話題が出てインタビュアーが取り残されてしまうこともあり得る。そんな時は逐一正確に訳すだけでなく、さりげなく補うこともあります。ミュージシャンの話のニュアンスから私がキーワードを見つけ、インタビュアーに伝えるという感じですね。
言葉そのものだけでなく、文化や習慣の違いによる誤解にも注意します。例えば、かつてある真面目な女性アーティストに向けて、出演者が周囲の笑いを誘うネタのような発言をしたことがありました。悪く言ったのではないけれど軽い笑いが起きた。少し離れた位置にいた私はその場でフォローするチャンスがなく、自分が笑われたのだと思った彼女は楽屋に帰ってからひどく泣いていました。
アメリカの歌手マドンナがテレビのバラエティー番組に出演した時も、通訳としてヒヤリとしたことがあります。司会のタレントさんがやたらに「マドンナ、顔ちっちゃ!」と彼女に言うのです。英語圏には小顔が良いという感覚がないので、普段の取材ならあえて通訳はしませんが、その時はカメラの前でもあり訳さないわけにもいかない。顔が小さいと言われたマドンナは案の定けげんな顔です。しまった、訳さなければ良かったと後悔した瞬間、ニコッと笑って「でも、私のハートは大きいわよ」とかわしてみせた。さすがに一枚上手でした。
海外の人と接する時に心しなければならないのは、相手がどんなに場数を踏んでいる人でも、笑われたり、意味が分からずもどかしかったりすれば傷つくこともあるということです。だから通訳は言葉だけでなく、ニュートラルな立場で双方の一期一会を成功させようとする仕事なのだと思います。
好奇心をさびさせないで
私は通訳と並行して、15冊ほどの海外ミュージシャンの単行本や雑誌の翻訳も手掛けています。この2分野は似ているようでいて全く異なる仕事内容なのですが、アーティストの内面に迫る面白さは変わりません。決して収入が豊かとは言えませんが(笑)、通訳にも翻訳にも、やりがいを見いだす若い人が増えてくれたらいいですね。
今、洋楽よりも邦楽のほうが人気が高いそうです。日本語という母国語のほうがダイレクトにハートにくる、気持ちに刺さる。だから洋楽を聴かなくてもいいという人が多いのでしょうか。でも最近は、日本の歌を英訳して海外に向けて発信する、そんな需要も多いんですよ。先日は25年も前に大ヒットした日本のゲームに魅せられた海外の若い映画製作チームが、クラウドファンディングでお金を工面して来日していました。ゲームを通じて大好きになった日本の音楽の魅力を母国でも伝えたいという一心で。
彼らはそれで食べていくつもりはなくて、やってみたいという気持ちに突き動かされている。そんな一人ひとりの好奇心が自然にどこかへつながっていき、世界に友達や仲間ができて活動が広がっていくかも知れません。
「まあいいか、やっちゃおう!」。それが私の仕事力ですね。(談)