「使命感を持ちチームと進む」
石山 アンジュが語る仕事--2
競争原理のその先は
同じ世界観の仲間を募る
10代の頃から、平和の実現を考えていました。その課題を追って大学時代には、「あなたにとって世界平和とは何ですか?」と書いたスケッチブックを掲げて海外の街角で問う活動などを行い、愛を持つことや、人間にそもそも備わっている良心によって、対立を越えられるかも知れないと強く感じるようになりました。やがてリクルートに就職し、担当した多くの企業に関わって感じたのは、個人の人生が組織の倫理に左右される不可抗力的な現実でした。
私の違和感は大きく、組織に依存せず自立的に仕事や衣食住を選べないのかと、さらに新たな疑問を抱くようになったのです。そして3年後、関心を持ち始めた「シェアリングエコノミー」分野の会社、クラウドワークスに転職しました。同社はオンライン上で個人と個人が仕事を受発注できるサービスを運営していて、誰でもフリーランスのような働き方ができるのです。ここで仕事をするうちに、「シェアリングエコノミー協会を立ち上げる」という発起人から誘いを受け、会社勤務の傍ら出向し、1年後に協会へ籍を移しました。
仕事の場として、企業ではなく協会を選んだのには理由があります。それは、広くシェアリングの世界観や市場を作っていきたいと思っていたので、小さな市場で一つの企業に所属して競争しながら働くよりも、業界全体というもっと大きな枠の中で、手を取り合って一緒に進む方が私にはしっくりきていたのです。協会発起人の「この全く新しいビジネス・産業に、ルールや法律を作らなくてはと考える方々を集めたい」という思いに賛同し、私もそれを基点として動き始めました。
まず、私たちは既存の業界団体と違って、お金も、歴史も、知名度もまだまだありません。だから新しい業界の団体として、貢献できる社会課題のビジョンを一緒に描いたり、共にその普及・啓発をしたりといった戦略を取って、同業者や大企業、行政、シェアサービスの個人ユーザーなど多様なセクターを巻き込み、徐々に徐々に協会に入ってもらえる仲間を増やしてきたのです。
「新しさ」への風当たりは強かった
シェアリングエコノミーという新たな考え方や、そのビジネスモデルに個人の幸せな働き方の可能性を感じて、私は協会への賛同を得るために奔走していました。その2014、15年当時は、自家用車に乗客を乗せる「ウーバー」や、民家を宿泊に貸し出す「エアビーアンドビー」などのウェブサイトが入ってきていましたが、日本ではまだ認知度が低く、受け入れ態勢も未整備で印象が悪かったのです。逆風が吹いていました。
それで私たちは、ライドシェア(乗り合い)とか民泊などの新しい言葉を使わず、シェアリングエコノミーが社会の課題に対してどんな価値があるか、具体的な事例を伝え続けていきました。例えば仕事ブランク中の育児ママが特技を生かして家事を手伝う。使われなくなった空き家を貸し出す。そんな、昔あったおしょうゆの貸し借りのような助け合いや分かち合いこそ「シェア」なのだ、と。そうしてやがて、地方再生に悩む自治体や多くの企業が耳を傾けてくれるようになっていきました。(談)