「どんな体験もギフトに違いない」
福岡 元啓が語る仕事--1
むちゃぶりの激励、始まる
上司命令「前掛けしとけ!」
何をやりたいのかが分からなかったけれど、ただ、色々な職業人に会えるなど様々な世界を見られて、それを自分がどう感じたかを伝えられるという期待感でマスコミ業界に憧れていました。就職時は超氷河期。毎日放送はもちろん、他の放送局や新聞社、出版社などを一通り受けまくりますが全て不採用。就職せずにどう生きるかを模索していたところ、毎日放送の2次募集があり、採用が決まりました。
配属先は大阪・梅田にある本社で、深夜の人気バラエティーラジオ番組「MBSヤングタウン」のディレクター。昨日まで学生だった僕が、伸び盛りのタレントさんたちのトーク番組を受け持つことになりました。失敗は数知れず。それでもくじけなかったのは、芸能界で勝負しているタレントさんたちが打ち合わせの際、楽屋で漏らす本音や考え方が生々しくてとても刺激的だったから。表舞台では想像もつかない機微を目の当たりにすることで、人と向き合う仕事のイロハを学んだ気がします。
勤務は深夜放送のため午後4時出社で、朝まで。オフィスでは他の社員に会うことはあまりありませんでした。ただ当時は、個性的な上司たちがいました。空手部出身の部長からは、魚屋さんで使う紺色の前掛けを、家を出た時からずっと会社でもしておくようにと指示されました。タレントさんたちは、変わった若手ディレクターがいるなと思ったようですが、時にはスーツの上からもしていたので存在を覚えてもらえるきっかけになりました。
また別の上司は、朝やっと放送を終えてソファで仮眠を取っている僕を起こし、いつも色々な場所に連れ出しました。ある時、レンタカーを借りて「湘南に行きたい」と言うので海にでも行くのかなと思ったら、行き先は何の変哲もないカラオケボックス。だったら近所でもよかったのに……と思ったものです。はたから見たら意味のなさそうなことを愚直にやるということが繰り返されましたが、それが唯一無二のエピソードとして話のネタになっていく。今思えば、普通では体験できない世界を見せてくれていたのだと思います。
真面目に向き合うしかない
前掛けはそのまま1年間掛け続けました。なぜ続けたかと言えば、実績のあるクリエーターだった上司のむちゃぶりを面白がってその上を行きたいと思ったこと、そしてどこか信頼関係があったからだと思います。その上司は僕の殻を破って、キャラづけをしようとしてくれていたのかも知れません。
そもそも仕事の現場では、前掛けぐらいでどうこう言う空気はありませんでした。それよりも、あいさつをきちんとしたり、連絡を丁寧にしたりして真面目に接することの方がプライオリティー(優先順位)が高い。中身を重視した、細かい部分を拾い集めて積み重ねるコミュニケーションが大切でした。向き合うって気の抜けないことです。後に担当する報道記者やテレビ番組「情熱大陸」など長期にわたって取材対象と向き合う場合にも、色々な局面で思いがけない事態が起こりました。その一つひとつに対していかに誠実に伴走していくか。どの世界でも基本は同じなのです。(談)