仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「いつも、なぜと問い続けよう」
堀 潤が語る仕事--2

就職活動

反発と、仕事への希望と

メディアに就職して何かできるか

転校の多かった小中学生時代はいじめられました。思春期にはサリン事件や少年による残酷な事件が起こり、政局や経済も不安定な時代を過ごしました。そんな影響もあって僕は、自分の将来や社会に対して期待を抱けませんでした。それでも、大学生になってドイツ語を学ぶために自費留学し、異国の人の優しさに、世の中も捨てたものではないなと救われる思いを持ちます。その後、社会に出るなら誰かの役に立ちたいと考えるようになっていったのです。

さて、自分には何ができるだろうか。医師や弁護士だと今からでは難しそうだし、唯一、やれるかなと感じたのはメディアの仕事でした。理由は二つ。まず、「大丈夫ですか?」「どうしましたか、一緒に考えましょう」と、現場で人それぞれの声に耳を傾けたいと思ったから。もう一つは、納得できることを伝えるプロパガンダの姿勢にずっと興味関心があったからでした。

でも正直に言えば、僕はマスコミに不信感も持っていたんです。世の中で事件や不祥事が起こる度に、報道のやり方に偏りがあるのではないかとか、取り上げ方が画一的だったり、時には被害者に対して残酷な切り取り方をしたりしていないかとか。その一方でジャーナリストの宮嶋茂樹さんが、サリン事件の報道や世界中の紛争地の撮影などで独自の取材現場を開拓し、週刊誌に次々と発表していた。僕はそこには真実があると感じて、週刊誌という週刊誌をほとんど読んでいました。

ドイツから帰国後、僕はテレビ各局に履歴書を送り始めました。時代はデジタル放送が始まる前夜。双方向でのやり取りが可能になるという点に惹(ひ)かれました。プロパガンダを打ち破るヒントがそこにあると。本命はNHK。深い取材で鋭い番組も作れば、日本各地の地域に密着した地味なテーマも取り上げる公共放送局。企画を自ら提案できる機会も多くあるらしいと聞いて、僕もこの大きな懐に入って何かをやってみたかった。競争が激しいことは百も承知。落ちたらフリーのジャーナリストになろうと腹をくくって臨んだ就職活動でした。

組織と自分、その均衡を見よう

NHKにはアナウンサーとして入局しました。面接試験では「公共放送が現在のような一方通行でいいのか」と、かねての持論を展開したし、提案の企画にCI(コミュニケーションとインタラクティブ〈双方向〉)の実現が急務と書いた。まあ、「現状のままではいけませんよ」と一学生が言ったわけです。それでも合格。こんな異分子も必要だと判断されたのかも知れません。

入局して感じたのは、研修やトレーニングの手厚さでした。即戦力を求める民間企業とは違って、NHKにふさわしい人材に育てるという方針です。学生時代からロックバンドで「自由にやろうぜ!」と活動していた僕には厳しかったし、ルールも窮屈でしたね。でも、電波を通してあらゆる視聴者に伝えるには必要なことなんだと、技術の基本習得にはついていきました。

社会の中で組織や企業が生き残っていくためには、その中で働くあなた自身の仕事も問われるのではないでしょうか。(談)

ほり・じゅん ●ジャーナリスト、キャスター。1977年兵庫県生まれ。立教大学文学部卒業、2001年NHK入局。「ニュースウオッチ9」リポーター、「Bizスポ」キャスターなどを担当。12年カリフォルニア大学ロサンゼルス校で客員研究員。13年NHK退局。現在は発信の拠点をニュースサイトNPO法人「8bitNews」に移し、報道活動を続ける。近著『SNSで一目置かれる 堀潤の伝える人になろう講座』。監督したドキュメンタリー映画『わたしは分断を許さない』が2020年3月に公開予定。
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