仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「新しい価値を見いだす仕事へ」
五十嵐 美幸が語る仕事--1

就職活動

自立を目指した小学生

料理が生活の一部だった

父の営む中華料理店が生家です。両親が4人の子どもを育てながら、家族で店を切り盛りするというめまぐるしい暮らしでした。私も小学生でお皿洗いなどを自然に手伝い始め、3年生の頃には肉まんやギョーザを形作り、エビ300匹を20分余りでむくほど。子どもながらに料理の手伝いは面白かったのです。

ただ、毎日がとにかく忙しく、両親はいつもけんかばかり。思い余って母に「仲が悪いのになぜお父さんと一緒にいるの?」と聞いてみました。その返事が「だって女は一人で食べていけないから」でした。この時私は、自分の将来に不安を抱いたのです。何とかして手に職をつけ、自分の力で生きていけるようになろうと決心して、料理を学ぶことに熱心になりました。

父は多忙でしたが、子どもの私を築地市場に連れて行っては素材の目利きを教え、また、研究し工夫した調理法を惜しげもなく娘に伝授してくれました。14歳の頃には父の傍らで厨房(ちゅうぼう)に立って手伝っていましたね。

放課後に友達と寄り道することも、どこかへ遊びに行くこともなく、ひたすら店に直行です。女性であっても自立すると決めた自分から逃げまいと、高校もやはり食の分野を選びました。3年間の学校生活は、クッキーなどの洋菓子を始め、和洋中と広い分野の基礎を学べて本当に楽しかった。料理の世界はこんなにも広いのだと感じてもいましたね。

その頃、父と東京・吉祥寺の中国料理の名店だった「竹爐山房(ちくろさんぼう)」を訪れ、その料理が今まで知っていた中華料理とは全く違うことに衝撃を受けました。油やうま味調味料を多用せず、小さめの皿に美しい盛りつけ。素材の味が生き生きとしていておいしく、体に優しい中国料理だったのです。私はすっかり魅了され、食する人を思う料理を作れる一流の料理人になりたいと本気になりました。

背中を追える存在のありがたさ

やがて実家の店を手伝いながら、休みの日には竹爐山房へ修業に通う日々が始まりました。「料理の作り方ではなく、勉強の仕方を教える」。新たな師匠は、まず私に「なぜ料理人は白い服を着ているか」と問い、「中国には医食同源という考えがあり、毎日人に食べ物を与える料理人は医者よりももっと大切で、地位が高いんだ」と言うのです。それから「食材を知らないと料理は作れないし、季節の野菜もしっかりと学びなさい」など細やかな教えを受けました。

厨房で仕事をしている師匠の後ろに立ち、ペンを握って聞き漏らすまいと書き続けた数多くのノートは私の料理人としての原点です。疑問に思ったことは自分で調べ、古本を探し、「なぜ師匠はそう言うのか」「他にどんな素材があるのか」など、深掘りしてがむしゃらに学んでいきました。

女性の中国料理人がほとんどいない中で、私自身が人に必要とされ、喜んでもらえる料理とは何か。ずっと潜在的に抱いていた課題へのヒントが少しずつ蓄えられていった時期でした。まだ実家の厨房手伝いですから、それを店で生かせる状況ではありませんでしたが、毎日おいしく、ヘルシーな中国料理をいつか私は作れるかも知れない。師匠を得て、そんな未来が見えてきたのです。(談)

いがらし・みゆき ●中国料理店「美虎(みゆ)」オーナーシェフ。1974年東京都生まれ。東京都立農業高校食品製造科(現・食品化学科)卒業。小学生から実家の料理店を手伝い、高校卒業後、正式に調理場に立つ。97年フジテレビの番組「料理の鉄人」に当時最年少の22歳で出演し、「中華料理界の女傑」と大きな注目を集めた。2008年に店を開業。野菜を多用した新しいスタイルの「美幸流中華」が高く評価され、各方面で活躍を続ける。
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