「新しい価値を見いだす仕事へ」
五十嵐 美幸が語る仕事--4
逆境にも必ず新芽がある
次への問いを持ち続けていく
私は、目指すヘルシーな中国料理を実現したいと、30代初めに無一文で実家の料理店を離れ、出張料理などで資金をためて約1年後に自分の店を出しました。告知は近所へのポスティングだけ。それでも、体に優しい料理を理解し喜んでくださる女性のお客さんが増え、年配の方などは麺料理のスープを飲み干してくださる。やっぱり求められていたのだと手応えを感じました。
その後、結婚をし夫の支えを得て、忙しさで体力的にはきつくても気持ちはとても健康でした。しかし、それまでに頑張りすぎた体は悲鳴を上げ始め、腕が激痛と共にしびれて固まってしまう「後縦靭帯(じんたい)骨化症」という難病に襲われたのです。骨化してしまった靭帯を外して骨盤の骨と入れ替える10時間にも及ぶ手術を2度。難しい手術のつらさよりも、もう厨房(ちゅうぼう)でガンガン中華鍋を振ることができなくなった現実が無念でした。
努力して軌道に乗せた仕事が思うようにできなくなる。それはどんな職業でも何よりも苦しいことだと思います。私はその1年後くらいに子どもを授かり、働きながら、子どもを育てながら、料理人としては体の自由がきかない状態です。これから何ができるのかを考えない日は一日もありませんでした。そんな中で、「強火で一気にではなく、じっくり火を通す料理を究めたら」と気づいたのです。中華鍋を振る料理は信頼するスタッフに任せ、私は調理時間をじっくり使う新しい味を作り出そうと。
悩み抜いて出したその結論は、家庭でおいしい料理を作ることにも役立ててもらえるものです。毎日店の厨房に立つ料理人から、もっと広い役割を担える料理人になれるかも知れない。私は「全ての人が食を見直す食育を始める」という課題を自分に与えました。こうしてまた別の視点から大好きな料理を開発できるのは、本当にうれしい。いろいろなことが重なって逆境に押しつぶされそうになりましたが、何かを失っても、人にはそれを補う知恵が湧いてくるものだと思っています。
前を向く悩み方から逃げない
料理を作る上で、私は「フードロス」も気がかりでした。10代の頃から食材を学び続けてきた私は、形が悪いからとか、傷があるからと無造作に食べ物が捨てられることに納得がいきませんでした。今もフードロスは続いていますが、捨てられている食材は価値のあるおいしい料理にすることができます。それを実践して、お弁当メーカーや給食センター、地域おこしやもちろん家庭にもパイプをつなげていきたいのです。気がつけば、多くの料理の先輩たちはすでに行動に移していました。
皆さんが自分らしい仕事を目指す時、どんな価値を大切にし、どんな人間になりたいかを深掘りしながら進んで欲しいと願っています。あなたを取り巻く周囲には、これが当たり前だという縛りがあるかも知れませんね。ただ、わずか数%でも自分の中に違うという感覚があるなら、「なぜだ」と問い続けて欲しい。それは、今という時代の声があなたに聞こえているからでしょう。環境が様々に変化しても、温かく優しい暮らしを届けられることが仕事の原点となるのではないでしょうか。(談)