「生きがいを追い続ける」
熊谷 和徳が語る仕事--1
ダンスに心を救われた
すごいマイケル・ジャクソンの表現
幼い時から小児ぜんそくを患っていた僕は、他の子どもと外で遊び回ることもほとんどせず、家にこもって本を読んだり、テレビを見たりして過ごすことが多かったんです。その頃、偶然家のテレビで見たマイケル・ジャクソンのダンスにとても引き込まれました。5歳の時でしたが、一人の人間ができる表現力の可能性にとても魅了されたんです。子ども心にも忘れられない体験でした。
そのマイケルの映像の中で、彼がサミー・デイビス・ジュニアやフレッド・アステアといったタップダンサーにとても影響を受けていると知り、タップダンスに興味を持ちました。しかし、当時住んでいた仙台にはタップのスタジオを見つけられませんでした。やはり自分にはできるはずもないと、一度諦めたんです。
それから10年近い年月が過ぎ、高校生になった僕は、自分のやりたいことが何なのか分からないという時期がありました。学校の授業にもなかなか興味が持てず、相変わらず内向的で、友だちともあまりうまく関係を築けないままでした。そんな時期に今度はまた偶然、テレビで『TAP』という映画を見たのです。
主演は、名高いタップダンサーでもあるグレゴリー・ハインズ。シーンの冒頭、彼は刑務所の独房で床を踏み鳴らし、壁を蹴り、リズムを刻んで鬱屈(うっくつ)した気持ちを表現していました。静まり返った房内で囚人たちが「うるさい!」と怒鳴る。それでもやめない。やがて彼らが「いいぞ、やれ」と乗ってき始める。ハインズがたった一人でリズムを刻んでいるこのオープニングシーンに、その当時の自分の気持ちが重なり、自分も踊ってみたいと思いました。
タップダンスへの抑えきれない衝動
自分だけの好きなことは何だろうと探していた僕にとって、ハインズのタップは衝撃的でした。子どもの頃に見たタップの印象よりも、もっと自分に向き合い、体一つで楽器を演奏しているようなところに強く引きつけられました。これなら自分だけの楽しみのために始められるかも知れないと思い、近所に幸運にも1軒だけできていたタップスクールに入りました。
当時の日本にはプロのタップダンサーのモデルがほとんどなく、特に僕が住んでいた仙台では、周囲の誰も僕の本気を理解してくれない。友だちにタップをやっていることを話すと笑われたことがあって、誰にも言わずにやり続け、その窮屈さにとても鬱々とした時期を長く過ごしました。高校の進路相談では先生に「タップダンスでは食べていけない」と何度も忠告されました。
しかし僕はタップダンスに対して、始めた当初から自分の生活の中で既にかけがえのない特別な何かであると感じていたんです。高校の海外研修でアメリカに行って初めて現地のアメリカ人の前で踊った時、みんながとても喜んでくれたという経験がありました。この時の純粋にうれしかった気持ちから、「いつか本場のアメリカでタップを学びたい」という思いが強くなりました。高校を卒業後、浪人中に勉強もタップもどっちつかずで悩みに悩んだ末に、「とにかくアメリカに行こう」と。それは抑えきれない衝動でした。(談)