「たとえ、前例はなくとも」
井上 純子が語る仕事--1
使えないママ職員として
仕事と育児の両立は欲張りか
高校では多くの人が大学進学を目指していましたが、私は明確な将来の夢がなく大学には行きませんでした。子どもの頃から、はっきりした目標がないと動けないタイプだったのです。ただ、仕事と子育てを両立させた人生を送りたいという気持ちが強く、公務員だった母親が勤めながら子ども3人を育てきった姿を見て、公務員を選びました。この時、唯一なりたかったのは「3児のママ」。子どもを軸にして自分らしく働くことが、私の目標でした。
市役所に入職できて間もなく、そんな自分の人生設計を生真面目に実行し始め、周りからは変わっているとよく言われたものです。でも私は、こうと決めたらやり通す性格でもあり、ためらいはありませんでした。何より早く母になって仕事も頑張りたかった。就職して結婚し、保育園の送迎や学校行事の時間のやりくり、保育料などをしっかり調べて、21歳、22歳、24歳で3児を出産しました。現代女性は、就職してまず仕事を習得し、何年かしてから子どもをと考えるのが普通かも知れません。振り返れば私は、思い込みで突き進むような幼さでした。
子育ては頭で描いていたものよりもはるかに大変で、産休・育休制度を目いっぱい利用し、日々実家の母の手を借りても、仕事を身につける時間は足りません。市民窓口を担当していても、納得のいく仕事はできていなかった。子育てに追われ、業務も未熟で、「あきれるほど使えない」「戦力にならない」と言われ続け、私は組織に貢献できないつらさに押しつぶされそうでした。
それでも、公務員は解雇されることがほとんどありません。3人の子どもたちを支えに、いつか社会の役に立つ仕事をしたいという情熱は消えることがありませんでした。
もらった「忍耐力」というギフト
子育てが一段落した頃、私はケースワーカーの業務を担う部署に配属されました。ここでは医療や介護、生活保護など住民への様々なサポートを担当します。医師や介護士など各分野の専門職と共に、住民の状況に応じて援助の判断をしていく仕事です。私はまだ社会に疎く不安でしたが、必死に学んでいきました。
世の中にはつらい暮らしを迫られている方が多くいます。この当時シングルマザーになっていた私には、子どもを抱えたお母さんたちの困窮ぶりも痛いほど伝わってきました。幼い子どもを育てながらではなかなか仕事ができない。「母親なんて使えない」と拒絶される苦しさ。相談を受けながら自分を振り返ると、いつの間にか私にも忍耐力や困難を乗り越える力がついていると気づきました。「ここを乗り切れば、次がある」。若いママたちにもそんな経験を話せる私になっていたのです。
その後、数年を経て私は観光課へ異動します。アイデアを出すのが好きという子どもの頃からの性格もあって、企画会議では次から次へと思いつく企画を連発。ここでは「空気を読めない職員」と呼ばれていました(笑)。ところがある日、上司のアイデアで市のPR企画として「公務員井上さんのコスプレ案」が浮上。私の公務員人生は、こうして新しい展開を迎えることになりました。(談)