「現実を丁寧に生きて働く」
片渕 須直が語る仕事--1
ずっと映像に引かれて
幼い頃から映画が身近だった
祖父が大阪府枚方市で映画館を営んでいたので、そこで怪獣映画や漫画映画を観(み)ていました。一番古い記憶は『わんぱく王子の大蛇(おろち)退治』。後で調べると2歳11カ月ごろなんですね。それからも8、9歳くらいまで祖父の映画館に時々通いました。
小学校高学年の頃には、授業で父親の「オリンパス ペンEE」というカメラを借りて写真を撮っていた記憶があります。それがファインダーをのぞいて「画作(えづく)り」を考えた初めです。中学時代には担任の16ミリカメラで、3年生を送り出す予餞(よせん)会の映像を撮影。小道具作りが面白かった。
そして高校では、映画を制作する活動で文化祭の紹介映画を作りました。始発電車で登校し、遅くまで仲間と撮ったドキュメンタリー映画。その体験はすごく楽しくて、今も生き生きとよみがえってきます。
こんなふうに映像は身近で、高校2年ごろまで、将来はドキュメンタリー制作みたいなことができたら、と漠然と思っていました。それも人ではなく、自然界の生態を撮るような分野で。でも、どうしたらなれるか分からない。そんな時期に、名アニメーターの大塚康生さんやアニメーション映画監督である宮﨑駿さんの作品に出会い、突然2歳11カ月以来のアニメーションに興味が戻ったのです。はっきりと自分の仕事を意識した高校3年生でした。
なぜだろうか。映像そのものはすごく好きだったし、カメラのファインダーをのぞくことも本当に面白いと思っていたのに。でもその一方で、あまり作り事をしたくないという気持ちもかなり強かったのでしょう。例えば実写で物語を撮る。それはフィクション映像を仕立てるということですから、細かい部分から全て信じてもらえるような土台を作り込まなくてはなりません。けれど自分自身はフィクション、つまり「うそ」をつくのが苦手だと。しかしアニメーションは、大きなファンタジーの中に現実を描けるのではないかと感じたのだと思います。
やりたいことは自分に聞く
目指したい仕事への思いはあっても、大学受験はすぐ目の前です。理工学部、歴史を学べる教育学部、そして芸術学部映画学科の三つを選び、理工学部と芸術学部に合格。でも、親には映画学科へ行きたいと言い出しにくかったですね。学費が高かったから。でも、すんなり承諾してくれました。
アニメーション映画監督でもあった、池田宏先生のもとで学びました。同じゼミの学生は6人。池田先生は「人間の視覚がどういう動きを捉えているか」をきちんと研究している方でしたが、学生には具体的に教えない(笑)。「そういうことは自分で学ぶべきだ」 と。授業の始めに20分ほどしゃべって、後は自分で考えなさいと言うばかりで、学生時代はずっと自習的な活動ばかりしていました。
その大切な意味が40代、50代になってやっと分かってくるんです。作品をものにしたいと志している人間が、自分は何を表現したいのか突き詰めないなんてあり得ないことだと。「私は答えを与えない。その代わり君たちはいろんなことに触れなさい」。それは仕事の基礎となる教えでした。(談)