「現実を丁寧に生きて働く」
片渕 須直が語る仕事--2
視野を狭めたら伸びない
世界の現実を知って仕事を
幼い頃から映画が身近にある環境で育ち、映像の世界が好きで、大学は芸術学部映画学科を選びました。アニメーション監督でもあったゼミの池田宏先生は、「人間の視覚はどのように動きを捉えているか」を深く研究なさっていた。ただ学生には、「自分で学べ、考えよ」「いろいろなことに触れよ」と自主性に任せる教えでした。
アニメーションの世界に足を踏み入れ、手探りで仕事をしていくうちに、その教えが年々意味を持ってきています。私も今、大学の芸術学部などで教壇に立ちますが、「アニメが好きだ!」という学生の気持ちはよく分かります。現在「日本のアニメ」は評価を得ていますが、でもそれは世界に広がるアニメーションの「バリエーション」の一つ。あなたの好きな「アニメ」は、広い世界のアニメーションの一部ではないかと伝えています。
欧米では、実写と同じような印象でアニメーションを動かして見せるのが主流です。でも日本ではずっと、「テレビ漫画」の時代から培ってきた擬似的な動きの印象で見せる様式と技術が定着しています。しかし、他にも様々なやり方が存在しているのですから、まず、今まで自分が見てきた分野は狭かったのだと知り、いったい世界中にはどのような方法論があるのか目を見開き学んで、狭いバリエーションに縛られないで欲しい。
さらに大事なのは技術です。頭の中で「こんな動きを描きたい」という時、いきなりそれを正確な動画にはできませんよね。鉛筆を持ち、同時に消しゴムを持って、描いては消し、消してはまた描き直すということを繰り返す。そうやってどれくらい自分の頭の中にあるものに近づいていけるかなんですね。
人間は頭の中で、連続して動くものをイメージすることができません。繰り返し試行錯誤することで、求める動きの印象にやっと近づけるのだと思います。その試行錯誤がアニメーション技術の最も大切な原則であり、こうすれば近づけるという経験の蓄積こそが力です。どのような表現の仕事も、その細やかな把握力が問われるのではないでしょうか。
「食べ代(しろ)」と自作品の距離は近くて遠い
自分がどのくらいの技術で貢献できるか。それを大切にして、私は「ちびまる子ちゃん」や「あずきちゃん」など多くのアニメーションの仕事に携わってきました。生活をしていくには困らない「食べ代」も稼ぎながら、それでも、いつも胸に抱いていた「自分にしかできない作品に挑みたい」という思いの一部でも、そうした仕事の上で試してみることは続けていました。
ただアニメーションの仕事では、「監督」という立場に立つことが必ずしも最終目標であるわけではありません。例えば素晴らしい演技力を持つ俳優が、監督となって自作品を撮るとは限らないように、目指すところは人それぞれなのだと思います。映画の巨匠と呼ばれる監督が、俳優をどう生かして映画を作るか知り尽くしていたとしても、自分で同じ演技ができるとは限りません。つまり単に制作に携わることと、自分が作りたいものを監督するということは別の仕事なのです。私が目指していたのは、自分が観(み)たい物語を作るということでした。
やはり、そこに至るには新たな努力がいる。私は、自作品に向けた挑戦を始めました。(談)