仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「ハードルは山より高くとも」
菊池 康弘が語る仕事--1

就職活動

適性が分からなかった

何となく役者を目指した

僕は今年6月、故郷である東京都青梅市に映画館をオープンしました。かつて映画の街として栄えた青梅にとっては約50年ぶりの映画館です。飲食業を営む僕には本当に無謀とも言えるような夢でしたが、かなえることができた。その紆余(うよ)曲折をお伝えしようと思います。映画が好きな少年でしたが、中学・高校時代はバレーボールの部活一辺倒で目指すことも見つからず、進学もしないままのフリーターがスタートでした。
 アルバイト先は飲食店です。時間があるとオーディション雑誌を見ては、もしかしたら役者や表現者ならと思い始め、「俳優募集」とある芸能事務所に100万円くらい払って入所。でも想像していたような事務所ではなく、舞台出演ができると言われて役をもらっても、実際に舞台に立つとお客さんが5人しかいない。これはまずい、本物の役者を目指すにはどこかと考えて、日本でトップクラスの演出家である故・蜷川幸雄さん主宰の「ニナガワ・スタジオ」のオーディションを受けたのです。
 10人ほどの採用枠に百数十人が応募し、蜷川さんなど審査員の前で演技をしました。途中まで演じて「もういい」と多くの候補者が帰される中、僕は最後まで残ることができ話しかけられたのです。そこで、結婚していて子どももいるけれど役者をやりたいと思いを語りましたが、蜷川さんから「そんなに甘くねえぞ」と落とされた形になりました。
 それでも、家庭があるという理由で夢を否定されたことが納得できず、何時間か裏口で待ち伏せして直談判しました。「きついぞ」と言われましたが、後日合格通知が届いたんですね。
 そこから毎日欠かさず蜷川さんの稽古場に行きました。生活費を稼ぐために深夜はバイトして睡眠時間は2時間くらい。小さな役をもらうこともありましたが、稽古場とバイトの行き来で家族の元に帰るのは1カ月に1、2回、それを365日2年間弱続けました。

イギリス演劇に衝撃を受ける

蜷川さんの元にいたその2年ほどの間に、僕は自費で「ハムレット」のイギリス公演にもついていきました。自分の仕事があるわけではないのに、航空料金だけで往復20万円くらい払い、安宿に泊まって食費も切り詰め、ただただ現場で稽古を見るだけです。そこまでするのはお前が初めてだと言われました。
 現地の俳優さんたちはフランクに接してくれるのですが、そこで見たイギリス演劇の格に圧倒されました。演技はもちろん深く素晴らしい。1世紀以上前に王立演劇学校が設立されていて、俳優に対して国民は聖職のように尊敬の念を持っています。ハムレットの公演では3歳ほどの子どもが見て内容を理解しているようで、日本で言えば昔話に近い古典として受け継がれているのかと思いました。このような奥深い芸術に触れて、それに対する才能が自分にあるのか、考えさせられる経験でした。
 こうして歯を食いしばって蜷川さんに食らいついていたのですが、大きな役をもらえることもないうちに、制作スタッフの方から俳優・上川隆也さんの付き人を探していると声をかけてもらいました。ここから僕は次へ踏み出していったのです。(談)

きくち・やすひろ ●(株)チャス代表取締役、映画館「シネマネコ」創設・運営。1981年東京都生まれ。高校卒業後、俳優事務所を経て演出家・蜷川幸雄主宰の「ニナガワ・スタジオ」に入所。その後、俳優・上川隆也氏の付き人を経て飲食業界へ。2014年チャスを起業し、現在4店舗を東京都下で展開する。国の登録有形文化財である旧都立繊維試験場を改修し、青梅市に21年、映画館シネマネコを開館。
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