「恐れず新しい景色を見たい」
黒木瞳が語る仕事--2
仕事で「私」を知っていく
扉が見えればノックしてみる
水と空気がきれいな田舎で自宅の畑仕事や田植え、稲刈り、牛の世話などを面白がって手伝い、裸足で走り回る子どもでした。父からは剣道の指導を受け、その傍らピアノを習い詩集も書いていた。歌うことも好きでしたし、中学時代からお芝居に夢中になり、高校の演劇部では県大会で優勝して九州大会まで行きました。その頃、宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」に感激し、思い出になればと18歳で宝塚音楽学校へ願書を出したのです。
試験日は希望の音大入学が決まったその1週間後で、準備は付け焼き刃のクラシックバレエ練習だけ。歌とピアノはできるけれど踊れないので、合格はないわと受験の緊張感もなく、面接では福岡なまりで楽しく楽器の話をした記憶があります。先生たちは爆笑なさっていました。よく入れてくださったと感謝しています。
宝塚歌劇団では、音楽学校を卒業して舞台に立つようになると衣装は担当が用意してくれますが、ウィッグやアクセサリーは自分でそろえ、ヘアメイクも自身でやります。役柄や動き、コーディネートを考え、お客さまにどう見えるか工夫するための努力を怠りません。だからセルフプロデュース力がとても鍛えられたと思います。
私はずっと、仕事イコール労働とは捉えず、自分の好きなことを探す機会をもらっていると思ってきました。多くを学んだ宝塚歌劇団で、また退団後に声をかけて頂いた映画、ドラマ、舞台、司会やバラエティーなどで何でも「やります」と挑んだのは、心に残る言葉を知ったからです。「どんなに有名な詩人だろうが作家だろうが、代表作は一つ。それを残すためにたくさん仕事をするべきだ」というものでした。つまり数多くの仕事をすれば、自分の得手不得手も人間性も知ることができると。エンターテインメントは情報の宝庫です。この世界で人生を学ばせて頂いているのだと感じています。
演じた役から社会が見える
色々な女性になり様々な人生を演じる仕事は、自分ではない様々な人生を生きるのだからとても学びが多いです。30代なら30代、40代なら40代、そして今の年代に至るまで、人としての悩みや思いを私は作品を通して教えてもらってきた。職業もそうです。弁護士や総理大臣などを演じた時には、外からでは分からない仕事の難しさも感じました。
以前演じた野沢尚さん原作の映画『破線のマリス』では、テレビディレクターで映像編集者の役でした。彼女は自分の思い込みでテレビ映像を編集してニュースを流すのです。常に個人で情報操作をして、やがて事件が起きる。最初は何て鼻持ちならない女なんだろうと思いましたが、考えてみれば情報は切り取られ方でいかようにも見せられる。私たちはその断片で判断してしまいがち。流される情報から真実を見極める力が必要なのかも知れません。
今回演出する11月の舞台「甘くない話」もそのような要素を盛り込んでいます。一人の女性の事故死を巡って容疑者がいるかも知れないというサスペンスへ展開していきます。社会にはいい人、悪い人だけではなくグレーゾーンの人がいる。謎解きだけではなく、笑って泣ける舞台を目指します。(談)