「今いる世界から抜け出そう」
山極 寿一が語る仕事--2
都市でのキャリアは先細る
新しい価値の狩りに出ないか
生まれた時からインターネットが身近で、日常の中心にはスマホがある。そんなテクノロジーの申し子のような高校生が、僕の講演会で「スマホを捨てたい」と意思表示した。しかもその数は思わぬ多さでした。それは生物としての「ヒト」が、テクノロジーによるバーチャルなつながりに不安を感じているからではないかと思っています。
また、新型コロナウイルスの影響で移動や集まる自由が抑制され、日々リモートワーク、物はネット上で手に入れるという「人が動かない生活」がこれから普通になりそうです。自分のアバター(分身)を使って、ネットの世界でスポーツや海外旅行を体験できる技術なども開発されています。AI(人工知能)の進展で人間の仕事が次々とテクノロジーへ移行していく今、企業のリストラは当たり前。厳しいですが、この変化の中で自分の仕事をどう選ぶか考えなくてはなりません。
このままならそう遠くない未来に、東京を始め人口が集中する都市部では、AIをコントロールできる高度な知識を持った少数の人が、高収入を得て「君臨」するでしょう。事務系などがほぼAIに変わると、残るのはほぼ賃金の低い労働だけという格差が起きるでしょう。やりがいのある仕事がないのに、物価の高い都市で働こうとするから苦しくなる。残念ながらそういう構図です。
だから若い人が将来を考えるなら、これからは都市部で先細るキャリアに固執するより、「人が動いていく生活」に可能性があると知って欲しい。その期待を込めて僕は「遊動の時代」と名づけました。これは、土地に根づいた農耕生活ではなく、獲物を追って移動する狩猟生活のイメージです。農耕生活では定着して働くことに意味を見つけ、物を所有してきました。でもかつての狩猟生活では、獲物を求めて複数の土地を移動していった。現代のその獲物とは、まだ掘り起こされていない未開の価値のことです。それは新たなシェアの仕組みかも知れないし、産業かも知れませんね。
他の地で自分の無力を知る
僕はゴリラのいる地で彼らと共に生活し、長年にわたって研究してきましたが、それは外から自分の生活を眺める機会にもなりました。もっと広く言えば、「ヒト」を深く知ることにもなったわけです。将来もしベーシックインカム(基礎所得保障)などの仕組みができれば、複数の土地に移り住む暮らし方から若い人が得られるものは多いと思います。
できれば「ふらり旅」ではなく、住人になるほど長く滞在する。そうして都市でコンクリートとテクノロジーに囲まれていた自分が、過疎の地に住んだらどうなるか。野菜を作ればそれを一晩で荒らす野生動物がいるし、台風が来れば家が危ない、流通は止まる。こういう環境では隣近所で助け合うしかなく、IT能力が高くてもほとんど無力です。ただ一方、厳しい自然の変化や生活の不便さを体と心で感じ、それを自分にとって楽しい暮らし方へと変える。そこには地方再生ビジネスの可能性もあるはずです。僕が考える遊動の時代とは、バーチャルから離れて自然に身を置き、働く力を得る未来です。(談)