「今いる世界から抜け出そう」
山極 寿一が語る仕事--3
現実を切り抜ける力とは
人間に宿る深い欲求
多くの事務系などの仕事がAI(人工知能)に取って代わられると、近い未来にはAIをコントロールする少数の高度な知識者と、賃金の低い労働者という格差が生まれると思います。しかし今も、若者は都市部に集まり続け、地方は更に疲弊して農業も漁業も荒れ、日本の1次産業の力は弱まるばかりです。けれど、もし将来ベーシックインカム(基礎所得保障)などの仕組みができれば、若者が1カ所ではなく複数の地方で暮らし、異なった体験を手に新しい価値を作れるのではないか。僕はその未来を「遊動の時代」と名づけました。
これからも都市を中心にAIの進化が止まることはありませんが、一方で、人は漠然とした不安を感じ始めています。それは、テクノロジーによって人と人とのつながりがバーチャルに近づくほど、自分という生の存在が不確かになっていくからです。僕らはもうインターネットでつながった社会や言葉を捨てることができないでしょう。ただネットは「人を情報化する装置」なので、実際に会う、触れる、食事をするといった身体的なつながりだけはない。これが危険だと、人は察知していると思います。
それは、何万年も前から互いに支え合って生きてきた体に宿っている記憶で、一人では生き延びられないという直感です。だからたとえ面倒なことがあっても、年代や経験や考え方が違う家族や、社会と離れずに暮らしてきた。迷惑をかけても助け合い、信頼関係を結んできたわけですね。自然と共に生きる暮らしも、厳しいけれどそのつながりが強いから、それが生きるセーフティーネットになっているのです。
僕だってネットにはとても世話になっていますが、ただ便利さだけを謳歌(おうか)して生きるのは、人本来が持つ充実感を満たすものではないと感じます。たとえ手間はかかっても、リアルな付き合いを手放しては人間を幸せにする仕事は難しいと思うのです。
「付き合いたい」が仕事を生む
人は付き合いがなければ社会の中で生きていけない。潜在的にそれを求めているとも言えます。その接点となる一つは「物」です。貸し借りやあげたりもらったりといった行為が信頼を築いてきたからなのですね。ネットでここまで情報のやり取りが可能になっても、ネット上ではフリーマーケットのビジネスが盛んです。そこに隠れている意味は、付き合いたい、物を通じてつながりたいという気持ちなのです。
それは価値観をシェアしたいという願望でしょう。自分が持っている物を欲しいという人がいるのは、自分と同じ欲求や暮らしを持っているから。そこにつながる理由があるわけですね。このフリーマーケットのシステムは、人の気持ちの根底に届いたからこそ、社会性のある仕事になっているのだと思います。
もしあなたが地方に移り住み、例えば廃屋や使われなくなった機械、船などを幾つも見たら、どのような価値を見いだすでしょうか。「ここには何もない」と嘆く土地の人たちと暮らして、どんなシェアを思いつくでしょうか。日本各地の埋もれた価値に光を当て育てるのは簡単ではないと思います。でもそういう行動力を諦めたくありませんね。(談)