「自分らしさに率直な仕事を」
水原 希子が語る仕事--1
目に見えない圧力の中で
英語を話すのが恥ずかしかった
アメリカ人の父と日本生まれの韓国人の母との間にアメリカで生まれ、2歳で家族と神戸の郊外に移り住みました。子どもの頃から父親がアメリカ人であることや、名前に「ダニエル」とカタカナが入ることなどがコンプレックスでした。子どもの世界って何でもズバリと言葉にするので、普通の子じゃないって特別視されるのはつらかった。
それがとにかく嫌で、例えば「英語しゃべって!」と言われたら、本当はうまくしゃべれるけれどあえて発音を悪くして話していました。そんなことを続けていたら、今度は休暇でアメリカへ帰った時にすっかり英語を忘れ、しゃべれない子になっている。どちらにいても否定されている感覚がずっとあって、のびのびと自分らしくいられない。そんなプレッシャーがいつもあったと思います。小学5年生の時に両親が離婚して名字が「水原」になり、カタカナ名から解放されたことがうれしかった。
幼い頃からファッションで遊ぶのが大好きな娘を見ていて、母はモデルがいいんじゃないかと雑誌『セブンティーン』に応募し、採用されたことがこの世界への第一歩でした。16歳で正式に東京へ出てきた時、仕事の撮影現場でモデルさんがフォトグラファーと英語で会話していて、「英語をしゃべるのは恥ずかしいことじゃないんだ」とうれしく、改めて英語を学び始めました。同時に海外への憧れも生まれてきたのです。いつも自分自身の立ち位置に違和感があった私にとっては、かけがえのないスタートでした。
もう一つ、子どもの頃から私は母親が韓国人であることを周囲に言えなかったんですね。日本の社会で、両親とも日本人ではないことには強い疎外感がありました。でも今は堂々と、自分が好きだった雑誌やテレビで活躍している人のように楽しそうに仕事をし続けようと思っています。
「ありのまま」が当たり前
楽しそうに頑張って活躍している姿は、どんな行動よりも強いと感じます。もちろん差別的なことやジェンダー、ハーフなどに対して立ち上がる気持ちは持っています。でもそれを言葉にするといい結果にはならないという体験もしました。私にはかつて「差別をやめましょう」と話していた時期があったのですが、何をしても、どんな記事が出ても理解されないことは多々ありました。
また、自分のブログなどで考えを書くと、コメント欄で「どっち派?」と分断が起きるのです。私自身で意見が分かれる要因を作ってしまい、かえって亀裂が生じていく。これはやり方が違うなと思い直しました。
求めていた思いと出会ったのは、宮崎駿さんの漫画『風の谷のナウシカ』でした。「光も闇も表裏一体で、光も闇も自分の中に存在する。だから悪を悪として切り捨てないで」という内容で、自分の正義だけ振りかざしてはダメだと言われている気がした。だからみんなで共存していこうと。それなら私はありのままの自分で頑張って仕事をし、誰かの励みになれたらいいのだと思ったのです。(談)