「自分らしさに率直な仕事を」
水原 希子が語る仕事--2
背中を追いたい人がいる
まず今の仕事をがむしゃらに
アメリカ人の父と日本生まれで韓国人の母との間に生まれ、2歳から神戸の郊外で育ちました。子ども時代は「ダニエル」という名字だったことで特別視され、疎外感を感じることがありました。なので、雑誌モデルに採用されて16歳で正式に東京での仕事がスタートしてから、私と同じようなモデルの仲間たちと出会い救われた思いがしましたね。
差別についてブログなどに書いた時期もありましたが、コメント欄で意見が分断していくのは本意ではなく、ただ自分らしく楽しそうに活躍する姿を見てもらえればいいと考えるようになっていきました。
私はごく若い時から、クリエーティブな、あるいは芸術的なことがとても好きで、それを理解し、自由に表現させてくれる人たちと仕事をしたいという思いを持ってきました。特に写真芸術に強い関心があって、ファッションモデルというより、素晴らしい写真の中に写り込んでいる存在になりたかった。それで単身パリに行き、幾つものエージェントを回った時期もありましたが、実際の仕事にはほとんど結びつきませんでした。
なかなか自分が思い描く仕事に出会えないまま、20歳ごろ映画『ノルウェイの森』に出演。ここからドラマ、映画などの仕事が一気に増えていき、芸能の仕事をたくさんやらせて頂きました。でも、演技などは自信がないし、私でいいのかなという不安もあり、やりたいことからどんどん離れていく焦りを抱えていたんですね。そんな時に、写真家の荒木経惟さんに何度か撮影して頂く機会がやってきたのです。
荒木さんとの撮影は今までに体験したことのない特別なものでした。まるで人の本質をカメラでえぐり出すような力が宿っていて、撮影後に私はテンションが上がりすぎて3時間くらいひたすら歩いてしまうほどだったのです。憧れていた写真芸術の世界に触れた私は、芸能の仕事に忙殺されている悩みを荒木さんに相談しました。答えは明快。「希子ちゃんなら芸能半分、芸術半分でできる。どちらもやればいいんだ」と。
自分にもたらされる仕事はがむしゃらにやってみよう、そこから開いていく先があると意識した瞬間でした。
抱いている理想は捨てない
自分の目指す仕事に向かいたいと願う私は、音楽家・細野晴臣さんの背中も追い続けています。音楽によって自由に自分の世界を表現し、アーティストでありながら芸能人としても求められている存在。本当にマニアックで、自分が好きで、やりたい音楽を思うままに創造して生きていらっしゃる。私と細野さんを比べるなんて恐れ多いですが、それでも「自分らしい世界」を歩くという何か通じる部分を感じています。
今まで生きてきた中で疎外感を抱き悩んだとしても、世の中にはそんなことを超えていく人がいます。自分と同じ仕事ではなくても、今いる環境とは違う場合でも、そして生意気だと言われても、「ありたい未来」を目指していけばいいと教えられる気持ちになります。自分をごまかさなくていい。私はそう思っています。(談)