「楽な選択はいけないよ」
森下 篤史が語る仕事--2
情けない自分も反面教師
社員とどう関わればいいのか
企業に就職し営業職で苦労して、やっとトップセールスになったものの出過ぎたことをしてしまい、32歳で退職。その2年後に業務用食器洗浄機の販売会社を起業。また副業として英会話学校や回転ずし店など六つの事業を起こしますがことごとく失敗します。やがて本業も危うくなり、何とかもう一度と始めたのが、現在の中古厨房(ちゅうぼう)機器販売のテンポスバスターズです。23年前ですね。
まず大きな倉庫を用意しましたが、中古の厨房機器はなかなか集められない。まだ認知度が足りないからだと、新聞社や雑誌社に次々と電話をかけて資料を送り、広報活動をしましたが、もちろん簡単にはいきません。他の手立てもと思い始めた頃、朝日新聞から取材連絡が入りました。「よしっ」と気合を入れて取りかかったのは商品である中古の厨房機器集めです。倉庫が広過ぎて閑散としているから、社員総出で厨房機器集めに奔走しました(笑)。
小さな記事でしたが、掲載をきっかけに他の取材も来て状況が一変。遠方からも飲食店経営を始める人々が足を運んでくれるようになりました。ところが、今度は社員が足りません。求人広告を出すと一日に50人以上の問い合わせがある。ところが実際に面接を受ける人はそのうちの一人いればいい方でした。引き取ってきたばかりの中古厨房機器は油で汚れ、食品の残りが腐敗したまま残っていれば臭い。面接に来た人はうちの現場を見て事務所にも寄らず、そのまま帰っていたんですね。
しかし人手は欲しかったので、入社希望ならほぼ無条件で来てもらいました。経歴も学歴も問わず、過去に何かやったような怪しそうな人もです。残念ながら予想は現実になり、人間関係、金庫の売り上げが消えるなどトラブルは年中でした。もちろん私はあきれ、もう戻って来られないほどの剣幕で叱ります。ところが翌日にはまた出社して来る人もいる。
ここから私は、社員とどう関わるか真剣に考えるようになりました。
自分だって悪さをした
人にはそれぞれ今日までの環境や事情がある。私が思うに、勉強が嫌でドロップアウトしてしまい、そのまま長く道に迷って生きてきた人は、なかなか仕事が続かないという傾向が強い感じがします。当社には何度叱ってもサボる社員や人を裏切る社員も、実はまだいますね(笑)。でも、私は「いつか良くなる」と思っているんです。なぜなら自分だって小さな悪いことをやった記憶があるから。
それは大学時代のことです。寮の近くに小さな駄菓子屋があって、5円くらいでおでんを食べることができた。鍋の中にはモツも煮えていて、これは値段が倍で、私は他の食材に隠し失敬して食べていたんです。もう何十年も昔のことなのに、社長という立場になってからも寝覚めが悪く、謝りたいとその店を訪ねました。店主のおばあさんはとうに他界され、めいごさんに謝罪してお線香を上げさせてもらったんです。
ただの自己満足かも知れない。でもそうやって一つ一つ悪い痕跡を消していけば、きっと人間は大丈夫だと思う。私は、会社としてそんな人たちに伴走しようと仕組みを作り始めました。(談)