「楽な選択はいけないよ」
森下 篤史が語る仕事--1
自分で生き抜くと決める
失敗は、次の試みの始まり
父は公務員、母は教師という家庭で、まあ、やんちゃを叱られながらも学業を終え就職。最初は営業職に苦戦しながらも数年でトップセールスになったのですが、その後、会社員としては出過ぎた杭というような自分の営業方法もあって、居づらくなり辞めたんです。32歳でした。そして次の会社に入り、紆余(うよ)曲折があって2年後に起業する事態になりました。正直怖かった。それが業務用食器洗浄機の販売会社です。
経営は順調に推移して社員も30人ほどになっていった頃、新卒が集まらないので採用の勉強のためにセミナーに参加したら、「これからの学生採用のキーワードは国際、環境、健康」だという。それならと、将来を考えて新規事業を立ち上げていったんです。英会話学校の運営、傘にフィルムをかぶせる機械の開発、回転ずし店など六つの事業。でも、バブル経済がはじけて副業はことごとく失敗し、頼みの本業も傾いていきました。それでも、挑戦を繰り返せばいつか芽が出ると信じていたんですね。
そうなるとまた新しい事業を考えなくてはならない。家庭用品のリサイクル事業が時代に乗るのではないかと、社内に相談すると猛反対されました。しかし、どうしても「リサイクル」が面白いと思えたのです。それで食器洗浄機の納品で全国を回りながら地方のリサイクルショップを次々と見ていき、業務用の冷蔵庫や厨房機器ならいけると新たに会社を立ち上げました。市場はフード業界と狙いを定め、ベンチャーらしく経営者である自分が先頭に立って必死になろうと。事業経営者は、始めたら逃げられないのだと肝に銘じて。
新社名はテンポス(店舗の複数形)とバスターズ(掃除人)で「テンポスバスターズ」。この会社が社会に対してできることを名前に込めました。人間は簡単に目標を忘れるからです。
何かのせいにするクセはないか
仕事をしていると様々に思いがけない事態が起こりますが、今回の新型コロナウイルスの影響は、想像したよりもずっと広範囲で長期間です。私たちのような飲食に関わる業界にとっても直撃は想像以上でした。それでも過酷な天災や人災は過去にもあったし、それを人々は乗り越えてきた。だから厳しいようですが、この現実を「自分で生き抜く」と決める、それがまず基本だと思うんですね。
例えば、大雨が降ったからお客さんが減り売り上げが減ったという場合、そこに店側の工夫は何か入っていただろうか。「大雨なら減収はやむを得ない。店を開けて頑張ったじゃないか」と納得するだけか。でも大雨が降る日は必ず何回かあるはずだから、手立てを考えておくことは当然だ。新型コロナの深刻さは予想以上ですが、他にも何らかの事情で3カ月近く営業できないというリスクはあるはずです。その備えもせず、「コロナのせいだ、助けてくれ」では、仕事の力をつけるチャンスをみすみす逃しているとしか思えません。
我々人間はものを考えて生きているのだから、「楽な選択をしちゃいけないよ」というのが私の考えです。つらい時はちょっと横道にそれて休み、できると思えることを考えてから戻ってきてください。必ず明日の活路は開かなくちゃ。(談)