「頑張りではなく仕組みが要る」
中村朱美が語る仕事--1
家族で食卓を囲む幸せへ
海外ホームステイで抱いた疑問
「これは納得できない」と思ったら、私はすぐに行動する性格です。例えば高校生の時、私たちは学校指定の小豆色のセーターが嫌で仕方ありませんでした。そこで私は、さっそく生徒会長になって学校側へ交渉を始めました。黒や紺のセーターを着てもいいのではないか。それがダメなら制服そのものを変えようと。翌年の新入生から制服自体を変えることができ、現実は動かせると知ったこの体験は大きかったですね。
高校時代には、もう一つ忘れ難い記憶があります。オーストラリアのブリスベンで3週間、ホームステイしたホストファミリーの暮らしぶりが衝撃的でした。ごく普通の共稼ぎ夫婦ですが、ゆったりと広い家に住み、パパは毎日夕方には帰宅して家族の食事を作ります。そして間もなくのママの帰りを待って、子どもたちと共に食卓を囲む。それがずっと日々当たり前だと言っていました。
でも私の家族はと言えば、幼い頃、父はシェフとして勤めていたので帰りは遅く、一緒に夕飯を食べたくてもかないませんでした。周囲を見ても、転勤や長時間労働が日本では当たり前。だから「父が長い時間頑張って働いてくれるから暮らしていけるのだ」と、寂しい気持ちを胸にしまい込んでいたのです。
しかしその後、インドやカンボジア、タイなど幾つもの地を旅して、もう一度衝撃を受けました。その人たちも、毎日家族そろって夕飯を食べていたからです。なぜ日本ではできないのだろうか。長々と働いて夜遅く疲れ果てて帰宅し、それなのに給料は仕事に見合わない人も多い。日本は世界に冠たる経済大国のはずなのに、おかしくないだろうか。疑問は膨らんでいきました。
やっぱり、動き始めてみよう
その思いを抱えたまま、私は京都教育大学へ進み、卒業後は専門学校の職員として就職。広報担当を希望し、コーポレートカラーを思い切って真っ赤にして、カタログからホームページまで少しずつ再構築していく学校のブランディングに取り掛かりました。学校側は恐る恐るゆっくりと許可するスタンスを続け、話題になり受験生が増えてくると、その結果を見て次の策を受け入れていってくれたのです。
人は現状を変えることには及び腰ですが、わずかでも動けば必ず変化が起きる。この学校での5年半は、行動する勇気を育ててくれたと思います。その間にも、日本の働く環境は好転する気配がなく、非正規雇用は増え、長時間労働、低賃金、柔軟性の無い就職環境などなど、私には納得できないニュースばかり。「本当にみんな、これでいいの?」と、ずっと抱いていた疑問は一層大きくなりました。
私は学校勤務の頃の27歳で結婚し、夫といつも「人生で大切にしたい夢は何か」ということを語り合っていましたが、一致したのは毎日家族そろって食卓を囲む暮らしでした。共働きで子どもを育てながら、早く帰って家族の時間を過ごす。そして働く時間は短くても、収入は平均並みにと。それを現実には最も厳しそうな飲食業で挑戦してみようか、と言い出したのはやはり私(笑)。こうしてささやかな革命が始まりました。(談)