「頑張りではなく仕組みが要る」
中村朱美が語る仕事--2
専門家に笑われながら
素人のまま飲食店を開業
大学卒業後は専門学校で広報を担当し、コーポレートカラーを真っ赤に変えたり、カタログやホームページを充実させたりなど約5年半の間ブランディングに力を注ぎました。
そして27歳で結婚。「ずっと毎日、家族そろって食卓を囲む暮らしがしたい」と夫婦で未来を描いていました。夫の仕事は不動産関係ですが、料理が得意で「いつか自分の店を出すこと」が夢。中でもステーキ丼はプロ顔負けの味で、これ一品だけをメニューとして専門店を出せると思うほどなのです。でもその時はまだ定年後の楽しみにと考えていました。
その「いつか」を「今」やろうと言い出したのは私です。欲しいと願っていた子どもが思うように授からない頃でした。メインメニューは夫のステーキ丼。そしてこの店を開くにあたって、私は以前からずっと疑問に思っていた「日本の過酷な労働の現実」を変えるという課題を自分に課しました。こうして、労働時間が長くて報酬が低いと言われる飲食業への挑戦が始まったのです。
「従業員が働きやすい会社」と「会社として成り立つ経営」の両立。それはどうすれば実現できるか。考え抜いたプランは、一日100食を売り切ったら短時間でも営業を終え、メニューは一品に絞って食品ロスは無し、そして従業員の働きやすさを重視する「働き方改革」を主眼にしたものでした。実は開店の2カ月前、私はこの仕組みを引っ提げてビジネスプランコンテストに出場しています。
そこで私の企画は、中小企業支援の専門家や大学教授の方々から酷評されました。「うまくいくわけがない」「馬鹿げている」「ズブの素人だ」と。さすがに落ち込みました。でも革命家気質の私ですから、逆に「見てろよ!」と燃えました(笑)。
今までほとんど成功例が無いようなアイデアは、受け入れない。長い時間、店を開けていなければ維持する売り上げは出ない。そんな審査員たちの常識もまた、ブラックな労働環境が変わらない要因でしょう。それなら私が新しい仕組みで証明してみせる、と決心はぶれませんでした。
お客さんの口コミで救われる
わずか10坪、14人で満席。小さな「佰食屋」のスタートは終日開けていても30食ほどしか売れないという状況が続きました。味も価格も接客も、決して他には負けていないはずなのに。当初500万円ほどあった預金は数千円になっていました。食べてくださったお客さんには好評なのに。もし1年経っても鳴かず飛ばずだったら、夫はタクシー運転手に、私は塾講師として再就職しようと気持ちを固めていました。
ところがある日を境に、お客さんが次々と増えていったのです。30食が70食、100食と売れ、昼過ぎには完売。どこで佰食屋を知ったのかと伺うと、SNSの好意的な書き込みだと言う。当店のステーキ丼を召し上がって、そのおいしさを口コミ投稿した方がいらした。ありがたかったですね。それから今日まで何年も、100食完売は続いています。
私が悔しさに震えた専門家たちの常識は、何とか覆すことができたと思っています。次回は仕組みを変えた、働く人の変化をお伝えします。(談)