「自分の本気を探し続けよう」
錦織 一清が語る仕事--2
どんな人間か人は見抜く
自分の居場所は舞台か
12歳でジャニーズ事務所に所属し、20歳でアイドルグループ「少年隊」として歌手デビュー。それ以前の16歳ごろから、国内外の一流指導者の充実した踊りや歌などのレッスンを受けさせてもらいました。事務所代表のジャニー喜多川さんは、僕の「体育教師になりたい」という夢を見守りながらも、人を感動させるプロ意識を育ててくれた。若い僕らの可能性を引き出すことに懸けてくれる存在でした。
少年隊はテレビの歌番組や多くのライブで息つく暇もないハードスケジュールでしたが、メンバー一人ひとりの個性を見極めて新たな仕事も投げかけられました。僕の場合は、アメリカ発のミュージカル「GOLDEN BOY」の主演でボクサー役、2時間半を超える舞台でした。初めて経験する事務所以外での製作であり、共演者は歌手・俳優の尾藤イサオさん、俳優の西岡德馬さんなどスターばかり。まだ23歳そこそこの僕はどれだけ不安だったか(笑)。
お二人から芝居というものを細かく習ったわけではないのですが、セリフ一つ、声の出し方一つがとてもシャープでカッコよく、盗みたくて自分の出番が終わっても稽古にずっと張りついていました。尾藤さんはジャグリングも得意だし、僕たち世代にとってはテレビアニメ「あしたのジョー」の主題歌を歌ったヒーローです。舞台でもキラキラと輝いていましたが、全ては自分が楽しんでいるからだと気づきました。
この後あたりからドラマや映画の仕事も増えていきますが、僕は出演者がバラバラに撮影に臨むことの多い映像より、稽古場でみんな一緒に作品を仕上げていくのが好きです。それが天職かも知れないと30歳近くになって思い、ジャニーズのステージ演出をやり始め、舞台の仕事に力が入っていったのです。そして劇作家・演出家のつかこうへいさんの舞台「蒲田行進曲」の主演にと声をかけて頂いた。かつて舞台と映画両方で大ヒットした名作で、型破りな映画スター、倉岡銀四郎役です。「え、僕でいいの、何で?」と心底驚きました。
名言「役作りなんていらない」
つかさんに最初に会った時に「俺はお前の声を3日で潰そうと思ってるから」と言われたのですが、案の定2日で潰れてのどから血が出ました。小声は許されず、本気でがなっていなければなりません。それは、生半可に考える表現を壊し、本人に備わっている素材を生かすためだったようです。「役作りなんていらない、役柄なんてどうでもいい。俺が見たいのはお前だ、どんな人間か見てる」。そして、お客さんも演技ではなく本人を見に来ているのだと。
この舞台体験で極端に僕の中で変わっていったのは、芝居がうまくなきゃいけない、踊りも歌もうまくなきゃいけないといった「うまくなきゃロジック」に興味がなくなったことでした。つかさんと知り合ってから、例えば優しいセリフは、役者が本当に優しい人間でなければ届かないと分かるようになりました。僕は映画『男はつらいよ』が大好きですが、主人公の車寅次郎を演じた俳優・渥美清さんは、間違いなく寅さんの温かさを持つ方だと思います。つまり、自分が持っている「人としての真っすぐさ」が伝わるのだと学びました。(談)