「運も苦しさも取り込んで」
岡 康道が語る仕事―1
想像を超えた営業職の悲惨
30歳平均賃金で選んだ就職先
得意な分野も夢もあったわけではなく、ただ条件のいい就職ができればと不純な動機で就職活動をしましたね。基準の資料は各企業の30歳平均賃金一覧(笑)。その上位の大手広告会社に狙いを定め、採用人員枠の多い営業職を志望し入社が確定。毎月給料が入ってくるんだと、それだけがうれしかった。
ところが、広告会社の営業は異常と言えるほど大変な職種でした。今の若い人には想像ができないかもしれませんが、得意先の接待は週に何度もあり、裸にネクタイで踊る余興など日常茶飯事。僕は酒が飲めなかったのでいつもシラフでやりましたよ(笑)。週末は、やはり得意先の引っ越しなど個人的な用事に駆り出され、「おい、トラックで来いよ、燃えないゴミがかなり出るからな」と廃棄物の処理までやらされました。同業者に仕事を取られるくらいならどんなことでもしろと言われましたからね。
よく体を壊さなかったと思うけれど、精神的には本当にきつかった。そしてあがき続けた5年目に、クリエーティブ転局試験を受ける機会が巡ってきます。運良く通過してCMプランナーとなり制作職に異動してからも、ただでさえ他のクリエーターより5年遅れで気持ちは崖っぷちです。でもあの地獄営業には戻りたくない、ただその一心で仕事にかじりつきました。
CMプランナーは、ラジオやテレビなど電波媒体の広告を作る仕事です。初めは先輩から課題をもらって、「まあ、思うように書いてみろ」と言われるだけ。ほとんど採用されることはなく、良い作品の基準も分からず、自分が向いているかどうかさえ分からないまま、何本も、それどころか何年も書き続ける日々が始まりました。
自分の表現のポジションを探した
泥臭い営業部から移ってきたクリエーティブ局、今度の仕事は雲をつかむようでした。何が採用されるのか、求められている広告は何か。とにかく書いてみろ、と言われても球を投げ込む先が見えない。それで僕は、先輩たちの机の上に積んである16ミリフィルムの作品をリールに掛け、人がいない時間に次々と見ていきました。
膨大な数です。毎週末はもちろん、年末年始や正月もオフィスでフィルムを見ながら、僕は、どこに「表現の抜け」があるかを探し続けていました。つまり、まだ誰も用いていない表現を自分のポジションにするために。そして、広告CMの王道というか、制作されているそれらの作品は「どこまでも明るく、幸福で、笑顔になれる」シーンや感情を表現しているんだと確信したんですね。
とすれば、スタークリエーターたちとは違う、「幸福からほんの少し外れた場所」に表現の居場所を置いたらどうだろうか。ちょっと人生の苦さがあったり、辛口のユーモアが仕込んであったりというようなやり方です。こうして僕は、マイナーなCMプランナーの道を探し当てた(笑)。しかし、これがまた採用されないんです。時代はまだイケイケのバブル期だったし、クライアントも先輩クリエーターも、ひねったCMなんて見向きもしない。認められるにはさらに闘いが必要でした。(談)
出典:2015年7月26日 朝日新聞東京本社セット版 求人案内面