「運も苦しさも取り込んで」
岡 康道が語る仕事―2
広告は、明るければいいのか
ハッピー、ピカピカでは終わらない表現を粘る
運良くくじに当たったような幸運で、僕は滅私奉公のような地獄の営業職から、CMプランナー職の社内選考に通り、制作の仕事に就きました。そこで自分だけのポジションを求めて、今までの王道から少し外れた「表現の空き」を探し、どこまでも明るく幸せなCMにはない、人生の苦みが利いているような「刺し方」を見つけました。
しかし勝手に、独自の表現としていけると思っていただけで、多くのプレゼンテーションに頭数として参加させてもらっても、僕の案は壊滅状態。完全にダークサイドでしたね。大御所の先輩からは公害だ、とまで言われました。明るさを売ることが最重要のバブル時代、僕の作品が煙たがられるのは当然だったかも知れません。
社内のCMプランナーの階級は、大きく3段階。会社が決めたのではなく、自分たちが判断して仮想グループ分けしたものです。1軍は5人ほどのスター軍団。受けた仕事を外すことがなく、ほとんどのヒットCMはここで作られ、中でもトップスターは1人、その年の広告賞を総なめにします。2軍は20人ぐらい。過去に受賞歴があり、2年に1度はヒットを出すような実力者がいる。
そして当時の僕はもちろん3軍、70人以上のプランナーがいました。ヒット経験がなく、会社から割り当てられた仕事を淡々とこなす毎日。3軍は3軍同士のクリエーターで組むのですが、いつかは2軍にという野望を持ち続け、果てしないトライアル・アンド・エラーを繰り返す闘いです。その中で僕は、低予算でも目立つ、仲間さえ眉をひそめるような、奇妙なCMを量産していました。
広告主に冒険者が現れた
それでも、頭数ぞろえでプレゼンテーションに駆り出されるうちに、広告主から「いつもボツになるけれど面白いCMを作る変なヤツ」と覚えられたらしい(笑)。無難で正しい広告じゃなく、目立って話題になるキャンペーン広告を試してみたいと、僕を名指ししてくれる奇特なクライアントが現れたのです。
ほとんどの企業側の宣伝責任者は、その身に周囲からのプレッシャーが強くのしかかり、失敗でもしたら「大金をつぎ込んで何してるんだ!」と責められる立場。だから、慎重に無難な案を選ぶことが当たり前です。マイナーなCMプランナーに頼むなんてばくちに近い。でも、その広告主の勇気を背中に、優れた新人演出家と組んで、このキャンペーンは成功することができました。ひねくれ者の仕事が、ほんの少し表現の扉をこじ開けたのかも知れません。
誰にでも、自分なりの仕事ができた、と喜べる貴重な体験があると思います。行くべき道が分かったというような。僕もこの経験で、広告表現の王道ど真ん中ではなく、自分の鼻を利かせてそこを深掘りし、研げばいいと腹に落ちました。スター軍団を目指すのも働き方の一つだけれど、自分らしい仕事を迷いなくやって「打率2割」でもいいんじゃないか。
どこでも歓迎され、みんなが両手を上げるようなオールマイティーな商品やサービスはない。でも、どんな人に届けたいか、こまやかな想像を自分らしく巡らせることはできるんです。(談)
出典:2015年7月26日 朝日新聞東京本社セット版 求人案内面