「運も苦しさも取り込んで」
岡 康道が語る仕事―3
もっと現役現場で暴れよう
管理職という憂鬱(ゆううつ)
CM制作で、変わった作品ばかり量産する異端児だった僕が、何とかその自分らしさを活(い)かしてクライアントに貢献できてから、次第にヒットを飛ばせるようになっていきました。バブル崩壊という空気も味方して、様々な賞も手にし、そしてクリエーティブ部門に移ってから10年目、部長に昇格しました。
全く、うれしくなかったですね(笑)。広告会社では部長はクリエーティブディレクターと同義ですが、部下を育て、数字も上げる役割は、まさに管理職。でも僕は、広告の職人として熱のある仕事場に残りたかった。みんなのベクトルが同じで、額を突き合わせる度に「さて、どうする」と知恵を出し合い、課題をクリアしていくヒリヒリするような臨場感がある現場こそ、仕事のやりがいの原点だったからです。
重い気分でいたある日、会社から欧米のクリエーティブエージェンシー視察の指示が出ます。日本の広告会社のような「メディアとの仲介料と、その広告企画料込み」のビジネスとは異なり、「企画だけで稼ぐ」広告会社です。心臓がドクン、と音を立てました。名だたる会社を訪ね、そして、このビジネスモデルこそ優れた作品を生み出す広告業界の未来だと熱くなりました。それならずっと制作の現場で闘える。日本でまだ誰もやらないなら、自分がやりたい。起業独立は会社仲間4人、我が国初のクリエーティブエージェンシーでした。
素晴らしく高い志を持って、というわけではなく、ただただ面白い広告を、できれば死ぬまで作っていたい。仕事の職人であり続けるために、今ここで踏ん張るべきだと思いました。
振り返っても同業が少ない無念
巨大な業界のトップである親会社を離れ、前例のない会社を立ち上げたばかりに、かなり厳しい、というか理不尽な村八分扱いも受けてきましたよ(笑)、でも、企画力を見込んでの依頼をいただくようになりました。組織とは不思議なもので、起業当初は個人気質のクリーエーターの集団だったのに、外に自分たちを脅かす共通の敵ができると、その度に結束が強くなっていきます。
潰されないためには、いい仕事をするしかない。お客さんから力を認めてもらうしかない。小さなベンチャー企業が生き残るには、その意地をテコにして、自分の能力を出し切ることでした。他と同じことをせず、個性的でかたくなに作品の質にこだわり、ヒット打率2割ならいいという考えはずっと変わりません。
でも、創立から17年目を迎えた今も、広告のクリエーティブエージェンシーは日本ではまだまだ少ない。確かに企画だけで食べるのは甘くないけれど、同じ志を持つ人間がきっと後からもっと出てきて、広告の世界で互いに切磋琢磨(せっさたくま)できるだろうと思っていた、その予想は外れました。やりたい仕事への思いが強ければ、それを飼い殺さず挑戦して欲しい。
大きな森の中にある一本の木は、安全だけれど、空を飛ばなければ森のカタチを見ることはできない。本当に残念だと、僕のような無鉄砲は言わずにいられないのです。(談)
出典:2015年7月26日 朝日新聞東京本社セット版 求人案内面