「失意からでも仕事の芽は育つ」
佐川 友彦が語る仕事--2
固執した価値観がほどけた
志向した高いハードルを追うか
大学では勉強に加え、面白い同級生たちと携帯サイト「環境問題クイズ5000問」プロジェクトに参加するなど充実した年月を過ごしました。ずっと環境問題に関心があり、就職先は再生可能エネルギーなど環境ビジネスにも力を注ぐ外資系化学メーカー。新人にも機会を与える社風で、すぐに社外の共同研究プロジェクトへの参加を任されましたが、期間2年でいい成果には遠く、責任を感じて働き詰め、体調を崩して退職しました。
発症からおよそ2年後、気力を回復した私は創業期のITベンチャー企業へ就職。精鋭の起業経験者が集結したその会社は、明確なビジネスモデルと戦略を元にハイレベルなスピードで動き、新しい価値を世に送り出す実践力が並外れていました。私も強く刺激を受けて仕事をしましたが、住んでいた茨城県つくば市から会社のある東京・六本木まで、片道2時間強の通勤は体力が続かず退職させてもらいました。
「自分たちの仕事を自ら作って実現」したその企業は(株)メルカリ。同社から学んだことは計り知れません。少ない人数の良さを生かす戦術は、後に携わる梨園の経営改革を助ける体験に役立ちました。でも、家族を持つ身でまた無職です。環境問題の解決に貢献する「やりがい」を追い、高いハードルを求めては挫折してきた私は、その時やっと自分の働き方を見つめ直しました。環境問題というマクロな課題から降りよう、今の自分が地域に役立てる仕事を見つけよう、と。
住まいを友人のいる宇都宮市に移し、仕事探しを始める中で、若い人と地元企業を3~4カ月間のインターンシップでつなぐNPO法人を知ります。そこで勧められたのが阿部梨園。とにかく会ってみようと訪れて、私は若い阿部梨園3代目の真剣な梨作りに引かれました。NPOで掲げられていたメッセージは「家業から事業へ」。現在の農業経営はあるべき姿なのだろうかと興味が湧き、その経営の現状を現場で学んでみようとインターンになったのです。
両足で飛び込んだ農業現場
インターン期間は、農家の経営改善というテーマを抱いて参加しました。阿部梨園は量より質を重視し、名産地・栃木でも売り上げは上位。私は梨の選果や梱包(こんぽう)などを手伝いながら、忙しい阿部英生代表に経営や販売に関する資料やデータを求めましたが、そこまでは手が回っていないようでした。日本の平均的な農家ではそれが現状なのだと思います。
国や自治体、農業団体などが補助や提案をしても、現場は多忙で専任者もなく経営の基本に取りかかれない。他者が外から片足をかけただけでは見えないことも多いのです。だから、両足で飛び込んで潜って気づくこと、分かることがとても大きかった。インターンを終えて、私は阿部梨園に就職し、現場にしっかり染まり、観察し、課題を見つけて解決法を探る道を選びました。
そこには大学などで習得する方法論とは違った、現場で磨かれるスキルそのものがあると実感したのです。目指すキャリアから遠く離れ、農家の従業員という自分的にはとっぴな仕事を選んだ感覚はありますが、得られたものは大きかったですね。(談)