「できることを掛け算していく」
酒井 美紀が語る仕事--3
問題に背を向けない覚悟
人として仕事もボランティアも
親元の静岡から東京での仕事やロケ先へ通い、映画やドラマなどに出演し、東京の大学に進学後も俳優の仕事を順調に頂いていました。ただ、かつての清純な役柄の影響もあり、20代半ばになってもそのイメージから抜け出せないという葛藤が続きました。でも一方、バラエティー番組で開発途上国を訪れるなど新たな体験も増えていきます。やがて所属事務所に懇願して約1年半の米国留学へ。そこで日本から心臓移植手術を受けるために渡米して滞在するご家族を、ケアするボランティアに携わりました。
また帰国後には、ドキュメンタリー番組の企画でフィリピンの首都マニラの北にある「スモーキーマウンテン」と呼ばれる場所へ向かいました。すさまじい量のゴミが山になっている廃棄場で、自然発火した廃棄物から煙が立ち上り、耐えられないほどの悪臭が漂う周囲におびただしい数の人が暮らすスラム街です。
ここで12歳の少女と出会いました。父を亡くし病身の母と幼い弟2人をゴミ拾いで支え、いつ崩れるか分からない廃棄物の山から大人に交じってペットボトルや缶を探します。一日の稼ぎは150円程度で、3日間食べられない日がよくあるという貧困。対して私はこのまま日本に帰れば当たり前のように飢えない暮らしが待っている。世界は違うのだとたじろぎました。仕事で知ることができたこの現状に背を向けられない。私も行動を起こそう。そう気持ちを固めたのです。
やがて2007年に、途上国の子どもたちを支援する国際協力NGO「ワールド・ビジョン・ジャパン」の親善大使にというご依頼をお受けしました。強い関心を抱いていた分野ですから、できる限りメディアに向けて「現状を何とかしなくては」と声を上げたりしています。かつて私は、俳優になれなかったら福祉の分野に進みたいと考える少女でした。望んだ俳優の仕事は今後も精いっぱい続けていきますが、ボランティア活動も心からやり続けたい。どちらも私の真剣なライフワークなのです。
必要な知識を求めて大学院へ
仕事などを通して多くの途上国や海外諸国を訪ね、10年近いボランティア活動の幅は広がっていきました。でも私には、行った先の惨状を感じた経験はあっても、なぜこういう事態が起きているのか、その背景にある歴史、政治はどうか、国際社会はどう働きかけてきたのかといった知識が全く足りていません。問題の根本を知らなくてはと思い至りました。
活動した経験があったから、私自身に問いが生まれてきたのだと思います。「途上国の現実を心に刺さるほど見てきたけれど、援助の効果はあったのだろうか、改善されないなら要因は何か」と。やっぱり学問の必要性を感じ、国際協力学を基礎から学ぶため19年から大学院に籍を置いています。俳優の仕事、家庭と子育て、ボランティア活動ともう時間の余裕はほとんどないし、覚悟はしていましたが勉強内容は膨大です。
大学院で奮闘する仲間は年齢も性別も様々。その人たちから、くじけそうになる私がもらった言葉があります。「子どもは親の背を見て育つよ」。だから、前を向いてできることをやり続けます。(談)