「できることを掛け算していく」
酒井 美紀が語る仕事--1
ぶれない夢へ走り続けた
キャッチコピーは「天然純水派」
静岡市で生まれ育ち、子どもの頃から俳優になりたいと夢見ていました。そして小学5年の時、市制100周年を記念した「静岡市こどもミュージカル」が企画され、小学校でも応募案内が配られたのです。友人とオーディションに応募して合格、役はなかったけれど歌とダンスで舞台に立ちました。そのやり遂げた喜びがとても大きくて涙が止まらず、やっぱりこの道だとタレント養成所に通い始めます。
私は運動が好きで小学校のマラソン大会では新記録を出し、水泳の練習にもずっと通い、中学校では片道約3キロの自転車通学。丈夫な体育会系女子でした。その傍ら2年生の時に養成所を経て東京の芸能事務所からスカウトされ、地元静岡のテレビ番組にマスコットガールとして毎回約5分間、1年半出演させて頂きました。そこで思いがけずCD制作まで実現し、「永遠に好きと言えない」という曲で全国デビューします。
このCDデビューを皮切りに東京での仕事と地方巡業、そして静岡での高校通学という忙しい生活が始まりました。事務所の社長が高校卒業までは親元で過ごさせる方針だったのです。東京に移り住みおしゃれな自分になってみたかった私に、「やせるな」「髪を染めるな、いじるな」「はやりの化粧はいらない」と指示しました。田舎育ちでのびのびした自然体のアイドルが私の個性だと。付けてもらったキャッチコピーは「天然純水派」だったんですよ。
やがてついに俳優となる人生の大きな転機が高校2年でやってきました。監督は岩井俊二さん、主演は中山美穂さん、映画『Love Letter』です。私は中山さんの中学生時代を演じさせて頂いた。約1カ月の撮影は極寒の北海道小樽市で、初めての映画の現場ではプロの仕事ぶりと気配りに圧倒されていました。自分の演技がどうなのかは分からない。ただ期待に応えたいと必死だった気がします。
どれほどの手を借りたことか
映画デビューの翌年、新たにドラマ「白線流し」への出演が決まりました。私本人と同じ17歳の高校生役です。季節を追っていくため本来は3カ月で撮るところを7カ月かけることになり、毎月20日間撮影、10日間学校というスケジュールでした。私が通う静岡の高校に芸能コースはなく、出席日数は3分の2以上が規則。ロケが続くと、例えば冬休みは全部登校し、誰一人いない教室で課題のプリントを仕上げ、職員室の先生へ持っていく日々でした。
仕事で東京と静岡を往復することも多く、最終の新幹線で戻り、父が車で迎えに来て私が駅まで乗ってきた自転車を積んで帰ります。仕事が長引き最終の新幹線に間に合わない時は、東京のホテルに泊まり始発の新幹線に飛び乗って静岡駅へ。そこでは母がお弁当と学校の制服を手に待っていてくれて、私はトイレでパッと着替え、駅近だった学校へそのまま駆け込んでいました。
高校の学友たちが私のために作り続けてくれた授業ノートのありがたさも忘れられません。東京の大学へ行くまで、学校の先生、友人、そして両親が支えてくれたおよそ3年間の仕事と学業の両立。私もいつか人の役に立ちたいと深く心に刻みました。(談)