「目の前の壁に逃げずに向き合え」
玉塚 元一が語る仕事―1
現場のおやじさんは先生だ
分からないことはすぐに聞く
海外で活躍するビジネスマンになりたい。その思いが強く、海外に拠点が多いガラス製品メーカーに就職。どこに配属されるんだろうと期待に胸を膨らませていたら、首都圏郊外の国内工場勤務となりました。少しは海外勤務を期待していたのですが、グローバル展開とは懸け離れた状況でした(笑)。
仕事での最初の挫折は会議です。新入社員の同期は優秀な人間ばかりで、会議の最初から最後まで、僕には上司や彼らが何を言っているのか、全く理解ができませんでした。学生時代はラグビーばかりやっていたので不勉強だったという自覚もあり、その日からスイッチが入ったんですね。心に決めたのは「分からないことをそのまま明日に延ばさない」ということ。分からなかったら先送りするなと自分に言い聞かせました。
ところが、化学品の工場ですから、車や冷蔵庫を作る工場のように部品などが見えるわけではありません。幾つものタンクやパイプがあり、このタンクの液体とこっちのタンクのを混ぜると何ができてくるのかとか、なぜこういう品質管理をするのかとか、今まで縁のなかった化学には手も足も出ない。明日に延ばさないどころではなく、すぐに聞いて歩くしかありません。
「お前、こんなことも知らねえのか」と言いながら、現場のおやじさんや若い先輩たちは、僕の絶え間ない質問に根気よく親切に答え続けてくれました。そんな毎日を休みなく2年間過ごし、どうにか全体を理解できるようになったのです。「お前の吸収力とバイタリティーには負けた」、その言葉が本当にうれしかったですね。どんなビジネスも現場がなければ始まらないのだと肝に銘じました。
初の海外勤務で「経営」を知る
上司に海外へ行きたいと言い続け、念願がかなったのは入社4年目27歳。経済が成長するシンガポールでした。「英語は全く問題ありません」とごまかし、現地ではさんざん苦労しましたけれど(笑)。
現地営業所内の小さな化学品部門で、部下4人はシンガポール人。1985年のプラザ合意から4年後の、一気に円高が進み、日本の多くの企業が生産拠点を東南アジアにシフトしていた時期です。ビジネスのテリトリーは香港、中国からインドまで広がり、工場に化学品やプラスチックの原材料、洗浄剤などを売り込んでいきました。
市場が拡大していく中、もっと生産拠点を作ろうとか、物流会社を買収しようとか、日本の本社から事業責任者がやってきては投資や販売拡大を検討し、僕も経営や商売に近い領域を次々に経験することができた。組織をリードする「経営」は本当に面白い仕事だ、いつかやってみたいと思い始めたのは、激務でもやりがいがあったシンガポールの4年間がきっかけです。
どんな環境にでも自分を放り込んでみると、知らないことばかり、できないことばかりだと思い知らされます。でもありがたいことに、それで自分の輪郭が見えてくる。少しは強みもあり、目を覆いたくなるほどの弱点も山のようにありますね。やってみて、検証して、改善していく、仕事の成長は体験がスタートラインなのです。(談)
出典:2015年7月26日 朝日新聞東京本社セット版 求人案内面