「人の暮らしを一歩でも前へ」
田中 修治が語る仕事--3
仕事で何を届けるか
メガネは、見える喜びを売る
倒産が予想されていたメガネ小売りチェーンを引き受けてから、僕は販促や新ブランドの構築、人事を選挙で決めるなど思い切った手を打っていきました。軌道に乗り始めると、やっぱり仕事は面白いとのめり込みます。スタッフが生き生きとしている姿もうれしかった。
そんな右肩上がりに伸びていた4年目の2011年3月、東日本大震災が起きました。目に飛び込んでくるニュースは悲惨で、僕たちは車が入れるタイミングを待って現地の支店を訪ね、スタッフの安否を確認してからボランティアとして避難所でメガネの提供を始めたんです。メガネは体の一部と言えるほど大切なものの上に、一人ひとりの視力や頭部のケガなどに配慮する必要があり、僕たちはとにかく日々体力勝負でした。
何日か過ぎた頃、一人の中年女性がおにぎりやパンをたくさん抱えて、食べて欲しいと持ってきてくれました。避難所では貴重だからもらえませんと断ったら、僕らが提供したメガネで救われたからだという。家族がバラバラになって誰一人の安否も分からず、悲嘆に暮れていた時にメガネを作ってもらえて、壁に貼られた生存家族の名を見つけることができたんだそうです。それならとありがたく頂きました。
このことがあってから、僕の中で仕事への思いが変化し始めました。僕たちは支店を増やし、スタッフも増やし、売り上げを大きくしてビジネスの道を順調に進み、「自分はいいメガネを売って、喜んでもらっている」と自信を持っていました。
そんな僕に避難所のあの女性は、メガネというモノを通して、その向こうにある「見える素晴らしさ」や「大切な暮らし」というものを具現化してくれたのではないか。そう思うようになりました。気づかなかったのは、僕自身がメガネを必要とせずに生きてきたせいでしょう。お客さんの生活の中で、人生で、メガネがどれほど大切なものか、やっと実感できた経験でした。
お客さんの日常を想像し尽くせ
自分の仕事の目的は、人々に何を届けることなのか。そんな視点が加わってから、メガネをかける人の暮らしを徹底的に考えるようになりました。今から8年前の当時は、メガネの安売り競争が加熱。デザイン数も少なく、何より視力測定や色々な検査、そしてレンズ加工と手間も時間もかかっていました。ならば、僕たちがその全てを変えていこうと決めたのです。
仕事を良い方向へ進めるために僕が大切にしているのは、分析して細分化することです。例えば年齢や性別に関係なく、誰もがメガネを快適に選べる店になるにはどうすればいいのか。一人ひとりの日常をこれでもかというほど思い描いてみる。お客さんの中には、メガネのフレームをセロハンテープで補修している方もいらっしゃいます。そこまでして新しいものに替えないのはなぜなのか。まるで映像を追うように、頭の中で日常を想像して課題を探していくのです。
どんな職種でも、自分の手がけた仕事が最後の最後に、誰の暮らしをどう良くするのか。それを想像し尽くして欲しいと思います。(談)