朝日新聞紹介
歴史から日常まで、多彩な切り口で楽しめるのが朝日新聞です。
朝日新聞が2000年に西暦1000年から1999年までの間に、日本に現れた文学者(小説家、詩人、歌人、俳人、文芸批評家など)の中で最も傑出したと思う人物を、読者の皆さんから投票してもらったところ、夏目漱石が1位でした。
1907年(明治40年)4月、夏目漱石は東京帝国大学講師の職を辞して、朝日新聞に入社した。約束された帝大教授の名誉と安定を捨て、世人を驚かせた。小説記者・漱石の誕生である。時代は日露戦争後の激動期。近代化が進み、西欧的教養を身につけた大衆も出現し始めていた。彼らの批判に堪え得る読み物が求められていた。後の「文豪」への歩みがここから始まる。
漱石は朝日紙上に掲載された「入社の辞」に、こう記した。「新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である」「文芸上の述作を生命とする余にとって是程(これほど)名誉な職業はない」「(大学を)休(や)めた翌日から急に背中が軽くなって、肺臓に未曽有(みぞう)の多量な空気が這入(はい)って来た」
入社の際の契約も周到だった。破格の月給200円、賞与は年2回でそれぞれ月給1カ月分、社主による地位安全の保証、版権の取得などを条件に、作品の一切を朝日紙上に、毎年「長きものを一回、または『坊つちやん』のようなものを二、三篇(ぺん)かく」と書面にした。それも、「失敗するも再び教育界へもどらざる覚悟」のゆえだった。
最初の連載小説は「虞美人草」。開始直後から、百貨店が虞美人草浴衣を、貴金属店は虞美人草指輪を売り出すほどの人気を博した。その後、「坑夫」「三四郎」「それから」「門」「彼岸過迄」「行人」「こころ」「道草」「明暗」と、1916年(大正5年)に49歳で亡くなるまで書き続けた。
「文芸欄」を創設し、自ら編集に当たった。文芸に限らず、美術、音楽、演劇など広く学芸一般にわたる論評、随想などを載せた。永井荷風「冷笑」、長塚節「土」、徳田秋声「黴」、中勘助「銀の匙」なども漱石の推薦で文芸欄に連載されたほか、当時校正係として朝日新聞にいた石川啄木の歌論も掲載している。
さらに、全国各地での講演会もこなし、そこから「現代日本の開化」などの文明批評が生まれた。漱石は、ときにユーモアを交えた巧みな話術で会場をわかせ、女学生にも大もてだったという。
漱石人気は今も衰えをみせない。主な出版社から文庫で出ている作品は数十刷を重ね、研究書も毎年30冊以上刊行されている。海外での翻訳も盛んだ。
漱石の孫婿の作家・半藤一利氏は「漱石の作品は現代小説として読める。彼が執筆した時期は、日露戦争の勝利で立身出世や金権主義、享楽主義が強まる一方、その後の長期不況で人々にペシミズムが広まった不安の時代。現代と似ており、彼が世相と向き合い、小説に取り上げたテーマは今に通じる」という。
漱石は読者サービスの人でもあった。小森陽一・東京大学教授は「同時代の風俗や事件を巧みに取り込み、読者の関心をそらさない。それでいて水準を落とさず、一作ごとに様々な実験を試みて、異なったジャンルを扱い、一つとして同じような作品はない。純文学にして大衆小説でもある」と語る。そして、「すでに20世紀の初めに漱石は、近代文明の陰の部分を、恐怖の実感をもって見通していた。現代の我々も同じ近代のシステムの下に生きている以上、これからも漱石は読まれ続けるだろう」。
近年は、俳句や漢詩、書画、日本における英語教師の草分けとしての面などにも研究は広がっている。この4月『英語教師 夏目漱石』を出した秀明学園理事長、川島幸希氏は「すでに100年前に漱石は入試にヒアリングを導入している。多読を勧め、音声面を重視する彼の英語教育論は今でも新鮮だ」という。
くめども尽きぬ泉のような漱石。1000年後の読者投票でも1位かもしれない。
※2000年6月29日付本紙から
| 順位 | 作者 | 抜粋文 | 投票数 | 作品 |
|---|---|---|---|---|
| 1位 | 夏目漱石 | 山路を登りながら、かう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。 | 321 | 3132 |
| 2位 | 紫式部 | いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。 | 765 | 7657657 |
| 3位 | 司馬遼太郎 | まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。その列島のなかの一つの島が四国であり、四国は、讃岐、阿波、土佐、伊予にわかれている。 | 76 | 57657 |
| 4位 | 宮沢賢治 | 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル | 3 | 3 |
| 5位 | 芥川龍之介 | 或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待ってゐた。広い門の下には、この男の外に誰もゐない。 | ||
| 6位 | 松尾芭蕉 | 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす。 | ||
| 7位 | 太宰治 | |||
| 8位 | 松本清張 | |||
| 9位 | 川端康成 | |||
| 10位 | 三島由紀夫 | |||
| 11位 | 有島武郎 | |||
| 12位 | ||||
| 13位 | ||||
| 14位 | ||||
| 15位 | ||||
| 16位 | ||||
| 17位 | ||||
| 18位 | ||||
| 19位 | ||||
| 20位 | ||||
| 21位 | ||||
| 22位 | ||||
| 23位 | ||||
| 24位 | ||||
| 25位 | ||||
| 26位 | ||||
| 27位 | ||||
| 28位 | ||||
| 29位 | ||||
| 30位 |
投票総数は20,569通でした。
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